晴釣雨読とは?
「晴れた日は釣りをして雨の日は釣りをしつつ読書もすると、いつか出世できるかも。釣りと読書万歳」という古代中国の有難いことわざである。
後漢末、『蒼天すでに死す。黄天まさに立つべし』と漢朝の非道を嘆いた民衆の期待を受けて、張角が黄巾の乱を起こした。
ここに、牛葛究という書生がいた。この男、今の世で言う釣りバカである。
牛葛究は晴れた日は朝から晩まで釣りをし、夜になったらなったで「ナマズやウナギの活性があがる」などとうそぶき暗闇の川に向かい、雨が降ったらふったで「ナマズやウナギの活性があがる」などと鼻息荒く濁流渦巻く川小屋に向かい、ドバミミズをエサにぶっこみ釣りをしては、どこから得たのか孫子の写しを読みながら天下の兵を考えていた。やがて、この牛葛究はいつごろか諸葛亮と名を変え、当時フリーランスであった劉備に出会う。
諸葛亮の噂を伝え聞いた劉備は、自分が身を立てるには、軍師が必要であると思ったのだろう。所謂、三顧の礼によって諸葛亮こと牛葛究を得、桃園の誓いにて義兄弟を誓った関羽・張飛の嫉妬を巧みにかわしつつ、諸葛亮と水魚の交わりを結ぶ。
「ははは、君と僕とは水と魚だ。きってもきれない。どちらがいなくなっても生きることができない」
その後の諸葛亮は釣りをしながら考えた天下三分の計を発案し、魏をナマズ。呉をコイ、蜀を釣り人にたとえ、漢王朝の復興を唱えたが、その先行きは厳しかった・・・
今回紹介する本は、水産ジャーナリストである野村祐三氏の『「ブランド魚」入門』だ。
はじめにいっておくと文章が特段面白いというわけではなく、読んで特段ストレスなく、ほーん、という感想をいだく種類の本だと思う。
この本には、発行された1998年当時のいわゆる「ブランド魚」を食べる著者の足跡を記されている。
1998年当時著者が取り上げた「ブランド魚」は以下の通り。
- 鹿児島枕崎のカツオ
- 大分米水津村のシラスとアジの干物
- 大分の関サバ
- 大分の城下ガレイ
- 長崎県勝本町のケンサキイカとカジメ
- 高知県佐賀町のカツオ
- 山口県田布施のマアジとアサリ
- 上関町のフグとトラハゼ
- 瀬戸内海のマダコ
- 和歌山加太のマダイ
- 三重大王町のイセエビ
- 静岡白浜、一色のトコブシ
- 西伊豆賀茂村のウマヅラハギ
- 伊豆半島のイセエビ
- 能登宇出津のアオリイカとブリ
- 富山氷見のブリ
- 福島相馬のアイナメとドンコ
- 常磐沖のサンマ
- 宮城閖上(ゆりあげ)のアカガイ
- 奥松島のボッケ(ケムシカジカ)
- 宮城志津川のタコ
- 三陸海岸のホヤ
- 宮城唐桑町のカキ
- 秋田八森町のハタハタ
- 青森十三湖のシジミ
- 北海道瀬棚町のホタテとイクラ
こうして記事に入力するのも大変な33種類の各地のブランド魚介類が取り上げられている。これをすべて取材するだけでも大変だったろう。
一つ一つを読んでいくと、全国的に有名な魚介類もあれば、ローカルでのみ通用するようなものもある。
時代が時代なので、ブランド魚介類は無数に増えている。
今となっては、いまとなってはマアジひとつとっても日本全国で数多くのブランドがある。
それにしても、全国的に有名な名物なブランド魚介類でも食べたことがないものも多い。
関アジやら関サバやら、記憶の限り食べたことがない(対岸で獲れた岬アジや岬サバはある)
えらくブランド化されて高いものより、ローカルで活きの良いものを釣りなどで消費したほうが性にあっているのかもしれない。そう感じた本だった。
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