【釣り場の怖い話】あの場所|大谷賢史さんの話

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釣りの場の怪談、あの場所
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ORETSURIをご覧の皆様こんばんは。

(書いているのは午前9時ですが、雰囲気的に。)

川釣り師・大谷賢史でございます。

みなさんは海釣りが好きな方が多いでしょうか?

私は「源流~マーリンまで」をモットーにどんな釣りも大好きなのですが、暑い夏の間や、大自然を大いに満喫したい気分になると渓流に向かいたくなります。

当初は釣果よりもリフレッシュを目的に川に降り立つわけですが、いざ川に釣り糸を垂れてみると、そこは釣り師の狩猟本能がふつふつと沸きあがり、どうしてもあの美しい渓魚に会いたくなってしまうのです。

そうやって一歩。また一歩。

と、何かに引き寄せられるようにして渓を歩み進めていくと・・・・・・・・・・・・

いいいやああああーーーーーーーーー

※特にオバケが出たという話ではありませんし、グロい表現もありません。不思議体験記です。

目次

釣りに行く前からひかれているのか・・・

私が小学校4年生か5年生の頃の話なので、今から25年くらい前の話。

オイカワ(ヤマベ)釣りの大会や例会で入賞するようになって、今考えれば一番釣りにのめりこんでおり、一番釣りに対する嗅覚が鋭かったころだと思う。

たくさん釣れるオイカワ釣りも楽しいものの、どこかそれでは満足できなくなっていた。

次第にミャク釣りで狙うヤマメやイワナに多大な憧れを抱くようになり、本来釣り方や釣り物に貴賎などないのですが、

ヤマメ、イワナ釣りをする釣り人の方が上等な存在であると妄信するようになってしまっていた頃。

そこで父にせがんで釣れて行ってもらったのが、山梨県にある道志川。

どうして道志川に決めたのかはよく覚えていない。

当時はインターネットが普及していなかったので、釣り新聞や釣り雑誌で見かけて、少年の私は心の中で憧れていたのだろうか。

はたまた、

「昔は津久井湖下の道志川でオバケヤマベが釣れたんだ!」

という父の言う昔話に底知れぬポテンシャルを感じていたからか。

なぜだか、馴染みの薄い道志川に行くことが決まった。

道志川奥の領域には・・・

当時は、スマホはおろか、ナビも携帯電話もない時代。

マップルという地図を片手に、集落と橋の名を頼りに川に降りられるところをひたすら探す。

今はどうか知らないが、当時はキャンプ場ばかりで、キャンプ場は川を段々に堰きとめてプライベート水遊び場を作っていた頃。

「これでは釣りにならない」と、方々をまわる。

そしてやっとまともな川場に降り立つことができた。

そこはキャンプ場とは名ばかりの何の施設も無いただの川原。

監視員のおじさんが立っており、これまた駐車場とは名ばかりの川原の崖っぷちの駐車スペースに案内され、駐車料金¥1000を徴収されるという。。

路上駐車が今ほどうるさくない時代で、コインパーキングを見かける機会も少ない時代。駐車料金1000円は当時の相場からしても高かったなと覚えている。

それでも「安心して停められるなら安いもの」と父は言い、案内に従った。

キャンプ場前の川は瀬が続いている。

季節は入梅の頃。

「まだ瀬に着くのは早いかな?」

といった季節。

上流には橋があり、その辺りまでは同じような川相。

「渓流釣りは釣りあがるもの」というセオリーも理解しておらず、「下流に大淵があるだろう」という全く持って根拠の無い推測にも関わらず、それを信じてやまず、父と私は釣り下ることに決めた。

大堰堤には何かが潜んでいる

そこで、釣り下っていくもアタリは一度もなし。

今ほど放流事業が盛んでなく、いいかげんな管理をしている漁協も多かったので、渓魚は夢のまた夢の魚だったのでしょう。

「昔は良かった」と回顧するのは高度経済成長の時代であり、今から20~30年前の渓流は本当に釣れなかったなと。

清流釣りのイメージでいた二人は釣り下るのが遅かった。

一箇所で結構粘っていたはず。

それが功を奏し、普通なら狙わないような、とろ瀬から砂地になるような期待薄のポイントでなんと父がヤマメを上げた。

パーマークの無い銀化した15cm前後の小さなヤマメ。

当時は銀化ヤマメが川を下ってサクラマスになるなんてことは知らず、

「放流物かな?あんまり美しくないね。」

などと父は言うも、私はヤマメに会えたことがとても嬉しく、自分も釣りたいと身体が熱くなっていた。

そのとろ瀬の先は流れが速くなり、滝に。

この滝はどうも堰堤のようで、右岸側からエントリーできそうなけもの道というか、雰囲気というか、そういうものが確認できた。

決死の堰堤跨ぎ。うしろには・・・・

堰堤付近に差し掛かると急に薄暗くなった。

川は、初夏の太陽が燦燦と降り注ぎ、明るすぎて白っぽくすら見えているのに、今思えば不思議ではある。

実際、森の木々がオーバーハングしており、さらに15メートル級の大型堰堤そのものも日差しを遮っていたので、とても薄暗らく感じる。

堰堤脇は管理業者のためのものか下流に向かってスロープが出来ており、

白いコンクリート製の下り坂になっている。

そこを竿を前にして突き進んでいく。

突き当りまでいくと行き止まりになっていて、川に隣接したテラス部分に行くには大人の大股一歩くらいの距離をジャンプして渡らなければいけなかった。

いつもの保守的な父であれば、私が何といおうと諦めて戻ることを譲らないだろうが、今回は一瞬の躊躇の後、すぐにヒョイと向こう側のテラスに飛び移った。

子供には大きな幅に見えたが、大人の目線では大したことがないものに映ったのだろうか。

・・・

今度は私の番。

・・・

下を覗くと、大石がごろごろしていて、堰堤から落ちた水が渦巻いて轟々という音を鳴らしている。

落ちたらひとたまりも無いことはいうまでもなかった。

・・・

元来、運動神経の悪い私はやはり一瞬躊躇ったが、父の差し出す手に惹かれるようにピョンっと向こう側のテラスに飛び移った。

・・・

父と身体が重なるようにしてテラスに着くとそこは別世界だった・・・

大滝壺にはタキタロウが潜む!?それとも・・・・

堰堤下は明らかに第一級ポイントであった。

魚道もないので、下流から上ってきた魚は絶対にここに溜まる。

川の水は、遥か上空の堰堤から滝つぼまで真っ逆さまに落とされ、その勢いでまた高く飛翔し、空気中に飛散霧散させられている。

辺りは噴霧機でミストを撒き散らしているかのよう白く煙り、汗とも水蒸気とも言えない水分が額から幾度も滴り落ちた。

父は本流筋の白泡の中を狙った。

私は少し下流の瀬終わりの駆け上がりを狙う。

どちらのポイントもタキタロウ伝説に出てくるような大イワナが潜んでいると、心から信じられるような好ポイントであった。

エサをイクラからエサ持ちが良く、大物に効果的なキジに変えた。

・・・

はっ!

急に背後に気配を感じて振り返った!

・・・

しかし、そこには深い森が存在するだけで、幽霊も野生動物も全く居なった。

私は出会ったこともないので、当然その気配も知らないはずなのに、自然と「熊がいる」と思って怯えた。

 

 

はっ!

 

その後も幾度と無く背後に気配を感じて振り返った。

しかし、やはりそこには何の生物も存在しなく、濡れた深遠の森だけが広がっている。

 

5投しただろうか?

父は竿を上げて黙っていた。

私は大イワナへの憧憬よりもう5投ほどしたが、

やはり竿を上げた。

 

超一級ポイントであり、粘っても良いポイントであったが、常に何か得体の知れない大きな存在に、全身隈なく監視されている感覚があり、

「ここにいてはいけない」

「ここにいてはいけない」

と、心の中で誰かが常に発しているように感じて落ち着かず、気温は高く暑いと感じているのに、身体は常に冷たい、寒いと感じた。

薄暗い場所とはいえ、夜にすら感じた。

 

正に異世界。

’畏い’という感覚がピッタリであった。

 

そして、二人は無言で竿を上げた。

あの場所は何だったのか?

目を閉じると今でもその時の情景が鮮やかに目に浮かんでくる。

ただ、竿を上げてどうやって堰堤上まで戻ったかの記憶が全くない。

また、堰堤下の川相はしっかりと目に浮かぶのに、

「水が落ちている所」そのものの記憶が全くないという。

一直線なのか、二段堰堤なのか、それすらも全く覚えていない。

 

記憶が復活するのは、堰堤上に立った瞬間。

急に開けて夏の太陽が燦燦と降り注ぐ白い川原、なんとなくいつも住んでいる領域に戻ってきたぞ!

という一種安穏とした空気を身にまとい、安心感に包まれたという記憶。

 

その後、私も父と同サイズの小さなヤマメを釣り、納竿しましたが、あの場所は何だったのだろうか。

 

そもそも幽霊にも野生の肉食獣にも出会ったことはありませんが、幽霊が居たという感覚も合っているようで合致しない感じがし、野生の肉食獣が居たというような感覚も合っているようで合致しない感じがする。

父と私の見解は同じで、「神の領域に踏み入ってしまった」という結論。

「人間がが入ってはいけない領域なのだぞ!」

と、警告されているような

「人間、ましてや子供が危険な領域に入っては危ないぞ!」

と忠告頂いているような、

そんな感覚が。

 

私は特に信じる神様がいるわけでもなく、

宗教に熱心な者でもない。

天照様にも、

阿弥陀如来様にも手を合わせるし

教会に行けば見よう見まねでキリスト様にも祈る。

アジア旅行に行けば仏教もヒンドゥーもイスラムも全て神様として崇めるようなミーハーな日本人だ。

 

ただ日本は八百万の神を信じる所謂アミニズム信仰なので、山岳信仰しかり、川や大淵には神様が存在するとも思っている。

そうでないと、あの気配と雰囲気の説明がつかない。

・・・

そして、今こうやって記事を書いていてふと気づいたことがある。

 

「ああ、父子だったから助かったんじゃないか!」

 

という思い。

あれから25年。

私も父になった。

子を思う親の気持ちが分かるようになった。

 

親を思う子の気持ち。

子を思う親の気持ち。

この両者の思いを神領地に踏み入った人間にも慈悲を下さり、

何事も無く帰還できたのだとも思える。

 

幽霊、熊、神様、異界の存在の何が飛び出してくるかはわからないが、あのまま釣り続けていたら、私たち父子の身に何事かが起こって居たのではないか・・・・

そう思えて仕方ない。

 

また何か理由は分からないのだが、

「神様は女神様だった気がする」

と当時小学生だった私は言葉にしていたそうだ。

・・・

その後知ったことだが、

道志には金の如来様の伝説や、姫神様の伝説があるようだ。

 

先月、25年ぶりに道志川で釣り糸を垂れましたが、開けた川で、明るくて、入渓し易くて、初心者歓迎の楽しい渓流でした。

では、あの時のあの場所のあの感覚は一体何だっただろう。

そもそもあの場所はどこだったんのだろう。

本当に存在する場所だったのだろうか。

 

こうやって記事に起こして回顧していても、ゾゾゾっと全身の体毛が逆立ち身震いが何度もしてくる不思議な体験でした。

そう、異界は私たちの住む世界のすぐ隣にひっそりと存在しているのだ。

何ものかに惹かれるようにしてうっかりとそこに足を踏み入れてしまうともう決して戻っては来れないかしれない。

 

皆様は人ならざるモノの領域に、ゆめゆめ足を踏み入れませぬように。。。

また、持って生まれた第六感を信じて引き返すことを、ゆめゆめお忘れにならないように。。。

 

※投稿いただいた釣り場の怖い話は編集部で編集して紹介しています。

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釣りの場の怪談、あの場所

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