あるとき、沖縄の洞窟で23,000年前に作られた釣り針がみつかったというニュースをみた。
むかしむかし、そのむかし。気の遠くなるような昔。
当時の釣りはまさに狩猟採集であって、『生き残るための手段』であったのは想像に難くない。当然ダイワやシマノなど存在しないので、全員が釣り針や道糸や釣り竿を自作していたのだ。
それから気の遠くなる年月がたち、衣食住といった文明的生活が安定してくるにつれて、人類の仕事は増えていき、食料を調達するということは貨幣を用いて市場や商店経由で行われるようになった。
そうして、釣りの目的は『食料の調達』から変化していき『趣味』になっていった。
『釣魚雑筆』を著したS.T.アクサーコフは19世紀のロシアの人で、作家という立場から趣味の釣りに関して本書を書いた。舞台は、1850年代のロシアの釣りということで、対象魚も釣り方も道具も現代の日本人からするととっつきにくい。
一方、趣味としての釣りへの喜び自体は古今東西・万国共通のようで、異国での知らないターゲットへの知らない釣り方も次第に興味深く思えてくる。
以下が第一部の目次例なのだが、これをみれば釣り好きは興味関心を覚えるのではと思う。
- 釣り竿のはじまり
- 釣り竿の構造
- 餌
- 釣り場所の選定
- 寄せ餌
- 釣りの技術について
釣り糸についての文章を引用する。
さて馬毛の釣り糸に移ろう。外国産のものは甚だ良好ではあるが、代わりに値段が高くまた太さにもあまり種類がない。<中略>白馬の尾からけを引き抜くのだが、この際もっとも長くてでこぼこのない、平均した白い毛と透明な毛を選び、これで好きな太さの糸に綯うのである。
基本的なことだが、現代では一般的なナイロンラインやフロロカーボンライン、PEラインなど当然でてこない。
強度と魚にみつかりにくいかどうか、水に浮くか沈みやすいかで動物の毛や植物の繊維等が用いられていたらしい。
つづいて第二部では、魚の種類と釣り方についての解説が続く。
目次を紹介する。
- 泥鰌(どじょう)
- ヨールシ(おやにらみに似たもの)
- 鯉(サザーン)
- 鮒
- 河鱸(かわすずき)
- 河魳(かわかます)
- いとう(ローフまたはクラスーリヤ)
- 岩魚(フォレーリ、ペストルーシカ)
- 河明太
- 鯰
- 海老蟹
こちらも実に興味深い。
泥鰌については、以下のように書かれている。
泥鰌は皮が柔らかいので、あらゆる食肉魚釣りの美味しい餌となるし、人間にとってもきわめて美味な食物となる。胆嚢を圧しつぶさないように注意深く内臓を出したこの魚だけのスープは、まこと脂肪豊富で美味しいもので、河明太汁に負けないほどだ。油で揚げてマリネ―ド漬けにしたものは素晴らしい。
ああ。実にいい。
ロシア人も泥鰌を食べていたんだな。泥鰌といえば柳川鍋で和食と思い込んでしまうものの、こうした記述を読んでいくと、妙にロシア人に共感を覚える。
この泥鰌料理もいつか挑戦してみたい。
海老蟹(ザリガニだろう)については以下の通り。
海老蟹は魚でもなく、肉でもないが、しかしそのどちらよりも良いものだ。<中略>夜間は海老蟹は岸のすぐ近くの浅瀬を這いまわり、岸へも這い上がって来る(おそらく食べものを探すためだろう)こういう場所を松明をかざしながら歩いて手でつかまえるのである。
これもいい。ザリガニが岸へも這い上がって来るというあたり。少年心をくすぐるな。
日本ではアメリカザリガニは不当にゲテモノ扱いされているけれども、本来食用のものだから水域によっては問題なく食べられる。
来年になったら、ザリガニ料理でもつくつてみよう。
『釣魚雑筆』は、趣味としての釣りについての根源的な魅力が詰まっている良書だ。
本当の釣り好きであれば、いろいろ参考になるところもあると思うぜひ手に取ってほしい。