池の水、ぜんぶ抜いて魚を「殺す」よりは「移す」という考えのほうが健全

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ブルーギル
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魚を釣るという行為には矛盾がつきまとう。

「自然を愛し、魚を愛す」

まともな釣り人のスタンスだと思う。

釣りに親しむにつれて特定の魚を好きになり、かわいいと感じる。それでいて、暇をみつけては釣りにでかけてはわざわざ魚に負担をかけるという行為に矛盾性がないとはいえないはずだ。

釣った魚を食べても食べなくてもつきまとう。

魚を釣ったらまるごと食べれば成仏するかというとそんなことはだれにも分からない。成仏するから大丈夫だろうという教えは個人の罪悪感を消し去る機能としては比較的優秀ではある。

キャッチ&イートとキャッチ&リリース。

このどちらが『正』なのかは、結局自分のなかでの納得感なのだろう。

日本の釣りのなかで、もっとも繊細な問題に特定外来生物とされる外来魚の問題がある。ブラックバス、ブルーギル、などなど。釣りをしない人でも名前は聞いたことがあるはずだ。

これらの魚は様々な理由で日本各地に広まった。人為的な放流をはじめとして、河川や水路などを通じて別の水域に広まったり。

各地には水質汚濁や、水辺の人為的な環境変化により今は希少になってしまった生き物がいる。ブラックバスやブルーギルは食性が動物性に偏り、かつ食欲が旺盛で繁殖力も高い。

池の水をぜんぶ抜く番組が話題になってから、外来魚や在来魚の取り扱いについて様々な議論が発信されてきた。ネットが隆盛になった今日もTVの影響力はいまだ高い。

かいぼりという仕組みは昔からあったものの、それは農業用水池を管理維持するために行われてきたものだ。

農閑期に池の堰をはなって水をすべて抜いて池を天日干しする。ゴミやヘドロなどを取り除き、崩れた個所を修復したり、池にはなっていた鯉や鮒などをとって食べる。村であれば祭りのような一大イベントだったのだろう。このあたりは、池の水をぜんぶ抜く番組で自治体をふくめてお祭り騒ぎになるのと同じだ。

もともとのかいぼりは農業を中心としたものがほとんどだったのだろう。そろそろ野池を整備しよう。魚が獲れるから食べよう。たくさん獲れるから正月用に甘露煮にしたり乾して保存しよう。というようなものなのかもしれない。

現代では、そのあたりの目的が変わってきている。

  • 景観上、池が濁っていて汚いからきれいにしたい
  • 外来魚の存在で生態系が崩れてしまうから元に戻したい
  • 地域を盛り上げたい

というような名目でかいぼりが開かれている。

  • 主催者の人気取り
  • たいした話題がないので話題をつくりたい

という要素も見え隠れする。

人工的につくられた池の生態系云々というのがどこまで意味ある行為なのかは専門家もふくめて誰も知らない。わたしなぞ、そのまま濁っていたほうが、実は生き物にとって住みやすいんじゃないのか。たくさん在来生物がとれているのは、外来魚がいてもそれはそれで生物ピラミッドが安定している状況なんじゃないか。「水清ければ魚棲まず」そう思ったりもする。

外来魚駆除等を目的にしたかいぼりはTV番組になっているものだけでなく、地域独自に行われているものもある。これらは法のもとにやっていることで、その点では批判されることではない。

が、魚の取り扱いはもったいない気がする。

かいぼりイベントには子供も多く参加する。そうしたイベントで、外来魚=悪=殺して当然というような考えを刷り込むのはどうなのかと思う。

もともとのかいぼりでは、田畑を維持するために農業用水池や用水路が必要。だからきれいにする。ついでに放っておいて勝手に育った魚もたんぱく源として利用しよう。というものだった。

が、今の時代は食と生き物の距離がずいぶん遠い。外来魚をとって食べるというのは難しそうだ。ブラックバスもブルーギルも食べればうまい。が、まずいというイメージがマスメディアを通じてすりこまれてきたので、一般家庭でとって食べようという考えにはなりにくい。

むかし東京のとある池で行われていたかいぼりイベントのポスターをみた。

そこにはデフォルメされたブラックバスやブルーギル、そしてライギョが描かれていたのだが、どれもサングラスをかけていたり、やたらに目つきが悪く、「ギャング」というような名称がつけられていた。

こういったものをみた子供は何を感じるのだろうか。

何を学んで育つのだろうか。

そんな外来魚問題について、子の親になってまた考えはじめた。いまだに答えはでていないし、これからも出ないのかもしれない。親でもわからない問題を子がわかるかというと、それは難しい。

わたしの実家近くの群馬県邑楽では、「2019外来魚駆除大作戦」というイベントが開かれる。

これは町内にあるブラックバスやブルーギルがいる沼で釣った魚を別の施設(特定外来生物の管理ができる管理釣り場)に移動させるというものだ。

移動した先で魚はさらに釣られるようになる。

一見するとあわれでもあるのだが、釣ったそばからお魚ボックスというようなゴミ箱にいれられ無益に死んでいくのとは別ではある。

これも一つの活用の道なのかもしれない。「ゾーニング」という言葉があるが、外来魚を特定のエリアにおいて管理していくという方法は経済的な意味合いでも、国策である地方創生にもつながりそうな気もする。

是非はあるだろうが、現時点の外来魚をめぐる歪な状態に対して、行動している行政と関係者は先に進んでいるとは思う。

釣りは矛盾をはらんでいる。

この矛盾は一生解決しないだろうが、現状よりはよい道にこの国の外来魚対策が進んでいけばよいなと思う。

わたしの息子は今0歳だ。

彼が6歳ぐらいになったら、その時には一緒に釣りにいきたいと考えている。

そのときには、きっと聞かれるだろう「魚がかわいそう問題」や「外来魚」の話についてもっとわかりやすく納得感があるように話せるように学んでいきたい。

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