波打ち際で「集団行動」をする謎の貝がいる
とくに何をするでもないときに、海へいく。
海にいくのに理由が必要なのかというと、そうでもない。なんとなく海にいこう。そうしようよ。そういうときがある。
そんなときは、とくにすることもない。釣り竿をもっているわけでもない。だから無心で波打ち際を歩いたりする。
ざぶん、ざざぁー。
寄せては返す波の音が連続する。いつの間にか心地よくなってくる。
海はいいよね。
これを「渚禅」とでも名をつけたい。脳内がいつの間にかスッキリする。
ざぶん、ざざぁー。
ざぶん、ざざぁー。
・・・
おや?
波がひいては返したあとに、ポツポツと姿を現す小さな貝がいるぞ。小指の爪の先ぐらいの。
ははーん、アサリかハマグリの子供だろうか?
こんな波打ち際に貝がいるんだなー。
そうおもってしゃがんで観察すると、一斉にあたり一面にこの小さな貝が出現し、圧倒される。
な、なんじゃこりゃ。
ま、万は超えているぞ。
否、一メートル四方でも千は超えている。
伏兵。
はかられたか。
いつのまにこんなに多くの兵に囲まれたのか。そ、そうか、今朝自宅をでたそのときから敵の軍師に謀られていたのか・・・。孫子曰く「算多きは勝ち、算少なきは勝たず」っていうのは、貴公、キングダムの見過ぎだぜ。
はじめてこの光景を見たい人はこんなことを感じるかもしれない。
うわなんじゃこりゃ。気色悪い。キモイ。
わかる。無理もない。集合体恐怖症「トライポフォビア」というのがあって、小さな穴や斑点などの集合体に対して嫌悪感や恐怖を抱く人もいるわけだから。
とにかく、この貝の動きは不思議だ。
潮が満ちてくると、波にのってどんどん浜辺を移動し、波がひくと、まだ水気があってやわらかい砂に素早く潜る。それが集団で行われる。
例えるなら北朝鮮のイベントで繰り広げられるのマスゲームの貝バージョンと思ってほしい。
あの国の場合、絶対的指導者による統制によって、イベントで一糸乱れぬマスゲームが繰り広げられる。失敗したら死ぬかもしれないし、なんだったら、連帯責任とかなんとかで、まわりの人間も銃殺か片道切符の強制収容所送りかもしれない。故郷の家族だってどうなるかわからない。
そこにきて、この平和な日本の浜辺で、だれの指導もなく集団行動を繰り広げる貝。
その名を「フジノハナガイ」という。
フジノハナガイとは
フジノハナガイは小指の爪程度の大きさ
漢字で書くと「藤花貝」。初夏に咲く藤の花びらぐらいのサイズだから名付けられたらしい。別名は「ナミノコ」「ナミアソビ」。ちなみに「ナミノコガイ」という近縁種がいる。
出典:環境省
フジノハナガイは砂浜が侵食されたり、人為的な海砂の採取によって生息域が少なくなっている地域もあり、エリアによってはほぼ見られなくなっているため準絶滅危惧種に指定されている。
相模湾の湘南地域の砂粒が細かいエリアでは、生息環境が適しているようで、ほかの貝類は少ないがこのフジノハナガイが多くみられる。それこそたまっているところは一平方メートルあたり、千匹ぐらいはいる気がする。
砂に潜っては出て、波にのって移動することは「潮汐移動」「波乗り」とも呼ばれる。これには、砂粒の細かさも重要なようだ。なぜかというと、フジノハナガイの行動は以下の流れだからだ。
- 波にのって移動
- 波がひく際に、砂に潜る(引き波にさらわれないようにしている)
- 以降繰り返し
2の動作では、砂に斧状の足をすばやく差しいれて潜る必要がある。このとき、まだ海水がのこり砂がやわらかくなっている必要があるのだが、そもそも、砂が細かくないと潜れないのだ。
また、河川が近い部分は塩分濃度が薄くなるからか生息しない。
たしかに、砂浜と河川が隣接しているエリアで観察すると、河口に近いエリアにはフジノハナガイは見られない。それがすこし離れると増えてくる。何事も合うあわないというのがあるんだろう。
他に、波打ち際の温度(水温・気温)が下がりすぎると、死んでしまい、波に打ち上げられてしまうという。
いるところには矢鱈にいて、いないところにはいない。
それが、フジノハナガイなのだ。
ではなぜフジノハナガイが潮汐移動をするかについては、解説した文献が発見できなかった。波打ち際は外敵という点ではカモメなど海鳥の脅威もありそうだけども、餌となるプランクトンが多いからなのか、多くの酸素が必要だからなのか。
これは、おそらくプランクトン食に関係することだとは思うけども、そのあたりは誰も調べてないようで、謎。通常食用にされず、表立っては価値があまり見いだせないから研究もすすんでいないからなのかもしれない。
▼過去に撮影したフジノハナガイの動き@相模湾
「フジノハナガイ」をとりにいく
今回は相模湾に面する材木座海岸にやってきた。
由比ヶ浜にかけて、どこにでもフジノハナガイがいる場所だ。
相模湾の海岸をそれぞれ歩いてみるとわかるが、砂粒が砂利状のところもあれば細かいところもある。フジノハナガイが生息している場所はこのような細かい砂地である必要がある。
隣接する逗子の海岸にもフジノハナガイはいるが、大きな台風のあとに大量の砂利やごみがせり上がってしまい姿を消したように思える。実際はわからないけども。
手前が、材木座海岸。奥が、由比ヶ浜。
遠浅の海で、砂は細かい。
中潮。これから夕方にかけて潮が満ちてきて、そこかしこにフジノハナガイがみられることだろうよ。
と、思ったんだけども・・・
思ったより潮位が高くて、エリアによっては道路手前まで波が来ている状態。
フジノハナガイの潮汐移動を観察する際、あんまり潮位が高過ぎると、移動しにくいのか目立った活動が見られない。
いないよねー。
どっこにもいない。
という状態で300メートルほど歩く。
赤いタモ網!?シャアじゃないのか。
いねえズラ。
きっと台風で全部もっていかれてしまったんズラ。
と、そのとき・・・
いた!
フジノハナガイみつけたり!
一体どこに、この鷹の眼から逃げられるものがいようか、いやいない(反語)
みてほしい。白い粒が見える。
これが、フジノハナガイだ。
あとはたも網で砂ごとすくったりますわ。
ドバドバ、ドッパーン!
すると・・・
おほほ。とれる。
とはいえ、小粒よな。
かんがえてほしい、こんな人が海岸で嬉々として網をふるっているのである。
やけに楽しそうにみえるが、実際たのしい。
サンダルをはいて来ればよかった。フジノハナガイ自体は波がひいた場所にいるわけで、そうなってくると自然、波が引くと突撃し、波がやってくると、馬鹿みたいに、うひゃーとか言いながら波をさける必要がある。ノース・フェイスのウルトラライトトレッキングシューズはゴアテックス素材で釣りにもオススメなんだけど、水に対して無敵ではない。
獲物を狙う男性その1
獲物を狙う男性その2
砂ごと網にいれるのが標準的な作戦
寄せる波で網をすすぎ、砂を捨てるとフジノハナガイだけ残る
これはフジノハナガイではなく「ナミノコガイ」かも
より効率的に捕獲する方法はあるのか。
そこで考え出されたのがこの手掘り作戦である。フジノハナガイは1体いれば周囲の深さ2,3cmのあたりに1,000匹はいる。が、波がひくときに砂が固くなるとたも網は刃が立たなくなってしまうのだ。
だから、いるとつかんだところをざっくり素手シャベルでガホガホと掘る。と、振動だったりで波がきたのと錯覚した彼らがぴょこぴょこ出てくる。で、そこに実際波がくる。その表面の砂ごとたも網に投入する方法がいい。
そして、このように濾すと・・・
こうなる。
いいぞいいぞ。
だが瘤取り爺さんor花咲じじいの話に代表されるように欲張りものは大体あとでしっぺ返しを食らう。このように、たも網へ砂を投入しまくると、これが重くて、安タモの付け根など折れてしまうので注意が必要だ。波で濾すのも大変になる。なにごともほどほどに。
こちらは一緒にいった下衆大将氏。
雨模様の材木座海岸に、ミレーの落穂拾いのような光景が広がる。
旧約聖書の申命記に由来するとおり、なにごともとりすぎず、だれかのためにとっておくということが重要なのだ。ひとり占めをしてはならない。人としての行いをふまえた地主は貧農の糧をかんがえ、すべてを刈り取らない。もしくはわざと落ち穂を残すものなのだ。
ま、フジノハナガイはだれもとらないとおもうけど。
何もいないようにみえる、なめらかな砂浜が、
ポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツ。
規則的に、ポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツポツ。
遠くからみると気持ち悪くみえるが、腰をおろしてみて近くで見ると小さな命が一生懸命にうごいているのが見える。
そして、それをとる人間もいる。
この世のものはすべて何者かの命をとらないと生きていけない。足るを知るということで、手鍋で出汁をとれる程度持ち帰ることに。
さて、海水を持ち帰りたいけど、砂浜じゃな・・・
そこで材木座と由比ヶ浜の間に流れる滑川の河口へ。ここなら水深も少しあるし、足場も。ということで下衆大将氏に水を汲んでもらう。
滑川河口の岸壁界隈にも大量のフジノハナガイの殻がみえるが、ここのは砂に潜らない。ああこれは貝殻なんだな。これは、もしかして塩分濃度が薄いから砂抜きには適していないかも。そう思いながらもボトルに水が満たされる。
夏のぬけがらが、
滑川のながれと引き波によって、まだ見ぬ海にながれていく。
こうして一日が暮れていった。
フジノハナガイを潮汁にして食べてみる
さて、もちかったフジノハナガイは砂を噛んでいるので、砂抜きが必須だ。それに、砂ごと無選別でとってきたので、いろんなゴミが混じっている。なので、このまま汁として煮だすという手法はとれない。
まずは砂抜きからだよ。いってみよう。やってみよう。
が、貴殿たち、数時間たっても一向に顔出しませんね。
ははーん、これはなんでだろうかというと、やっぱり河口の塩分濃度が低い海水というのがあかんのだろうなという結論にいたり、食塩水の援軍を出すことに。
適当に濃い目の食塩水をつくり投入。
すると、どうだろう。
お分かりになるだろうか。
斧足あたりがべローンとではじめて、給水管もペロリと出ている。
おっけーおけまる。
翌日。と、みせかけて翌々日。
これで十分に砂も抜けただろうとおもった。
が、甘くみてはいけない。この貝にはどうしても死貝とゴミが混じっている。
ここから気の遠くなるような選別作業がはじまる。
ざるにあけて、流水で洗う。
それを息子が寝た深夜0時過ぎに選別していく。一体どれぐらいかかるのか。
Amazonプライムで吹き替え版「スーパーナチュラル」を流しながらの選別。主人公の兄弟ディーンの声の不釣り合いが不思議とフィットしてくる頃合い。
ふぅ。1時間経過。つらさ。
でも、せっかくとった命はおいしくいただきたい。
・・・
・・・
・・・
ようやく終わったのは午前3時頃であった
よく見るとフジノハナガイだけでなくナミノコガイも混じっているのがわかる。
こちらは混ざっていたゴミ。
赤錆びた金属、ガラスの破片、死貝、貝殻、などなど。
ガラスや貝殻はそのままゆでてもどうということはなさそうだけども、錆びた金属や死貝はタタリガミとして、炊いた汁に深刻な影響を与えそうだったので、とりのぞけて良かった。
わたしの3時間は無駄ではなかったのだ。
あとは水に真昆布をいれてその上に、ざざーっとすべての貝を投入。
「安日本酒」「みりん」といった呪文を唱えて中火にかける。
沸騰したら昆布をだし、弱火で炊き続ける。
ひたすら炊くと貝が口を開く。
助さん格さん、もういいでしょう。
あ、はい。
みてほしい、これがフジノハナガイの黄金出汁である。
昆布ではない海の香りがする。これは、貝の香りや。
あたりまえである。
少しずつノーマル塩で味をつけていく。
すると、ある時点でドンピシャリの塩加減がきまる。
これだよ!
まずは薬味をいれずすすってみる。
あたたかい。
しみじみ。
アサリやしじみのような濃さはないが、甘さのあるやさしい味わい。臭みはない。
つづいては万能ねぎをかます。
万能ねぎ占いというものができそうな散らばり具合。
ほどよい香気が加わり、さらに味わい深い。
では、これはどうかな。
安いからといって大量に買っておいた酢橘を絞る。柑橘をしぼるときは果皮を下にして、しぼり汁が果皮をつたってたれるようにすると香気が増す。そう、俺は知ってる。
すだち汁をいれると一気にフジノハナガイの潮汁が白濁する。おそらく汁にとけこんだたんぱく質に反応してるんだろうな。ようしらんけど。
味は・・・
これは!
ちょっとフォントを大きくしちゃうくらい料亭っぽい味だったのだ。
フジノハナガイの潮汁には酢橘がよく似合う。そう思った。
身自体は小さい。
まとめ
地域によって生息の有無と多寡がはっきりしているフジノハナガイ。
これをとって食べてみた。ひたすら上品な味わいであった。たとえるなら京都の高級料亭で出されそうな味わいといえばよいかもしれない。いったことないからわからないけど。
味はいい。
だけど、とりにいく時間、とる手間と、混雑するゴミや死貝を選別する苦労を考えると、常食をするような生き物ではなさそうだ。Amazonプライムでの「スーパーナチュラル」の鑑賞はとてもはかどった。
毎回こういうことをやっていて、思うことがある。
ネット社会なのでやるまえに、ググればだいたいのものの味や勝手もわかる。先人のおかげ様様だ。ただ、やってみて、自分の舌で実感することや、徒労ににじむ乾いた汗の塩っ気みたいなものをなめて味わう楽しみというのがあるのだと思う。
自分の体をつかってやったり感じたことがないことを、さもやって感じたかのように伝えることはあんまり好きではないので、わたしはこれでいこうと思った。
フジノハナガイはエリアによってはたくさんいるが、積極的に採取をすすめたい生き物でもない。準絶滅危惧種として存在しているエリアもあるので、そのあたりは留意したい。
とはいえ、興味がわいたら、身近な砂浜を訪ね、気まぐれで食べてみて、あーうまいけど、もういいかなー。そう思うぐらいはいいと思う。
むしろこういう行動で、そこに生き物がいる、ということを体で実感することが環境だったり生物多様性の保全にもつながるんじゃないかなと思ったり。
ウナギ釣りにしろなんにしろ、そう思う。
ではでは。
平田(@tsuyoshi_hirata)