先だって友人にハゼ釣り講釈をしていて、じぶんでもハゼが釣りたくなり羽田にむかった。
京急の穴森稲荷と天空橋の間には海老取川という河川がある。
名前の通り、昔は海老がたくさんとれたのだろう。芦原に砂泥地でも広がっていたのだろうか。
一見水路のように見えるが、多摩川の支流ということで、河口部は吞川と合流して北の大森方面にある。
ハゼ釣りを本格的にやるのも久方ぶりのことだ。
8月から9月であれば、まだ水温も高い。ハゼは足元にいるので、2.5メートルの延べ竿を振る。
煩わしいウキなどの目印はつけず、釣り針とガン玉のみのシンプルな脈釣り仕掛けだ。
脈釣りという名称は医者が手脈をとるように、オモリで慎重に底をとり、アタリをまったから付いた名前だと聞いたことがある。実際はわからない。
とにかく、目感度ではなく、手感度の釣りである。
江戸留守居役の暇侍も、こうしてかんたんな仕掛けで夕涼みをしたのだろう。
太平の世では大してやることはなく、変わらぬ藩内政治に飽きた者はこうしてぼんやりとアタリに一喜一憂していたのではないか。
釣り場に着くと季節柄、そして場所が有名だけに人がにぎやかである。
さあどこに。
あたりを見渡すと橋のたもとに、麦わら帽子のじいさんがいる。
玄人風なので、あやかろうと近くで釣りはじめる。
すると、一投ごとにひどく根掛かる。
このあたりはマハゼに加えてウロハゼも多い。そう、根が多いのだ。
待てよと思い、さらにじいさんの近くに寄る。
すると、大変善良そうな白髭のお顔がふりかえる。
「もっとコッチへきて釣ってみなよ。そっちは根があるから駄目だよ。こっちで、あのあたりに投げると釣れるよ」と、云う。
「ありがとうございます。いやあ、こっちは根がすごいですね。何匹くらい釣れたんですか?」
「橋のところでちょっと先は根がないから、ちょうどいいよ。沢山釣れたけど船の引き波でバケツをひっくり返されちゃってぜんぶ逃げちゃったよ。餌も流されちゃった。もう帰るからここでやったらいい。」
「はい、やってみます。あ、釣れた。」
と、ここからは一投ごとにアタリがある。
こうなると自然と鼻息が荒くなる。
先のじいさんは撤収したのだが、様子見に多摩川本流側の釣り場を見てきたらしく、こちらに舞い戻ってきた。
「どうだい?もう五六匹くらいはいったかね?あっちは小指くらいのしか釣れねえみたいだよ。こっちのは大きいよな。まあ、頑張ってな」
わたしは、じいさんばあさんに育てられたので、じいさんに気に入られることには大変自信がある。
そして、気に入られることは心地よい。
すっかりあたりは夕凪で、風が止まっている。
潮が足元に満ちていく。
ボラの子だろうか、なんらかのおびただしい群れが水流をさかのぼる。
あ。
餌のイソメが底に沈む手前で、ひったくるようなアタリがあり、左手に延べ竿をながす。
ハゼにしてはひく。これは、セイゴかな。
そうおもって、すっと抜き上げると良いサイズのセイゴだった。
橋の暗がりを経て同じ岸の向こう側にいた別のじいさんが帰り際に寄ってきて、「何?セイゴかい?けっこう良い型だな。じゃあ頑張ってな」と声をかけてくれる。
「はい、がんばります。」
そう、答えたものの潮の動きが鈍くなり、見上げると半月が見える。
こうして、釣りに来ると不思議なもので、全くの他人から「がんばってな」「がんばってください」と次々に声を掛けられる。
悪い気はしない。
ところが、潮のせいか、釣れない。
夏鯊は冬と違って夜餌をあまりとらないからか、アタリもほとんど出ない。
ぼちぼち納竿の時間なのだろう。
満ち潮へむけて動きがある夕方1時間半程度で20尾程度の良型ハゼが釣れた。
20センチ弱に成長したものも混じりなかなかの手応えだった。
水面を激しく跳ねるのは、ボラではなく、スズキのようだ。
界隈はかなり浅いのだが、潮が満ちると70~80㎝に迫るスズキがやってくる。
今は、ボラやハゼを食べているのだろう。
暗くなり、家路へつくころになると、また風が立って、心地がいい。
夜の底から、しずかな秋がやってくる。