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映画「サバイバルファミリー」の感想。親の力はお金と家庭によって維持されている

サバイバルというのは、なんらかの生命にかかわる危機的状況から生き残ることを指すらしい。

平和な日本社会で生きていく限りは基本的には必要がない力ではある。

東日本大震災のときの話をする。

あのときは程度の差はありながらも、ライフラインが寸断されるという状況が現実になった。

震災当時、わたしはクライアントのシステム導入ミーティングのために日本橋にいた。

そのビルは高層ではなかったが比較的あたらしく免震構造だったこともあり、揺れに対してこんなに揺れて大丈夫か?というぐらい、ぐわーんぐわーんと揺れていた。

人間直接被害を被らない限りは、意外と落ち着いたものだったりする。

揺れはあったものの、窓ガラスが割れているわけでもないので、もともとマイペースなわたしは「さ、すすめましょうか」などといった。

それに対して企画室長系のAさんが、「ははははは。これヤバイかもっすね」というようなことを笑いながらいい、担当者Bさんが「ちょっとこれはもうやめましょうか。一旦これでペンディングにしましょう」というようなことを言う。わたしの同僚のMさんも「いやーこれはやばいと思います。一旦やめましょー」と帰る気満々だった。

わたしがこのとき一番心配に考えていたのは次のアポイントのことだった。

そのアポイントは、大手クライアントへの会社として重要なお詫び訪問だった。

時計をみたら次のアポイントまで1時間程度あるなーとおもったのを覚えている。地下鉄でいけば余裕で間に合う時間帯だが、電車は動いてないということもあり、どうやって行こうかを考えていた。事態の重さにまだ気づかなかったのだろう。鈍感な男だ。

たしか歩道と車道が混んでいたこともありながら、1時間程度かけてクライアント企業へ到着した。途中電話をして、アポイントの再調整について相談しようとしたが、当時は都内では電話がつながらない。

だからクライアント企業には連絡できずという状態。ほかに同行予定の上司とも連絡が取れずTwitterを通じて一応連絡をしてみたものの返信はなかった。

なんとかアポイント時刻の前にその企業に到着した。

当然、その企業内も騒然としているのだが、わたしは昨晩落としどころまで何度も練習をしたその企業へのお詫びストーリーを思い出しながら受付の呼び出し電話をとる。

が、当然のように受付のコールをとる人がいない。何度かコールしてやっと女性スタッフが電話をとったので、「○○さんとの約束で参りました」という用向きを伝える。

すると相手は、「….あ、はあ、ちょっと…それどころでは」というようなことを言う。それはそうだ。たしかにそれどころではない。

それどころではない状況で、数分まっているとクライアントの女性部長があらわれ、「ちょっと、平田さんそれどころじゃないですよ。うちはもう全員これから帰宅なんで」と、困惑が95%という笑いをしていた。たしかに困ると思う。こいつは何を考えているのか。そう思われたと思う。今のわたしが当時のわたしに訪問されてもそう思ったと思う。

その会社を退出した後、オフィスに帰って上司に「○○さんとこいってみましたよー」といったら、「…え、いったの」みたいな反応が返ってきた。

あの日は夜まで会社で様子をみて、それから歩いて家まで帰った。杉並に自宅があったので、途中営業していたスーパーなどで休憩しながら3時ぐらいかけて帰った気がする。

さて、あれは自分にとってのサバイバルだったのか。

そう考えると、当時は電話や公共交通機関が使えなかったものの、電気もつながっていたしネットもあったので、それほどではなかったのだと思う。

津波など直接的なにあった地域ではさらに命にかかわる状態があり、まさにサバイバルだったのだろうと思う。当時東北の沿岸部にいた方は今も心に深く当時の記憶が焼き付いていることだろう。

ここでやっと映画の話になる。

「サバイバルファミリー」という映画をみた。

平凡な家族がある日、全く電気製品が使えない状況に追いこまれ、サバイバル活動をして生き延びていく話だ。

アウトドア経験やその手のリテラシーが一定レベルある人からすると、様々な設定やストーリーのリアリティは薄い。そのため、Amazonのレビューなどをみていても辛らつな意見も目立つ。

わたしも見ていて、「そりゃないっしょー」と思わず口にしてしまった部分は何度かあったものの、みていて心に響くものがあった。

父親は会社人間。母親は田舎の祖父から送られてきた魚をさばくのも苦手。息子と娘は親との信頼関係があまりない。

そうなると当然、インフラが寸断された社会では親が圧倒的な無力になる。

現代社会での親の力は、多くの場合サバイバル能力云々ではなく財力で維持されている。

専業主婦は家事ができる家というものがないと成り立たないことも多い。

サラリーマンの父親は職場がないと成り立たない。

そんな両親が職場や家庭といった「場」を出て、お金がほぼ通用しない社会で生活する。すると、父親と母親はお互いに苛立ち、子供は親の無能さにいら立つ。鎧をぬいた親だって、当然子供に苛立つ。

ストーリーは親子が旅をしながらサバイバル能力を磨きつつ、絆を確かめ合っていくという方向性で進んでいく。

釣りをしたり魚をさばいて食べるということは、狩猟と比較して趣味人口も多く、SNS上でもよく発信されている。魚を釣って料理して食べることができる人は、釣りや料理をしない人からよく、サバイバル能力が高そうな扱いを受ける気がする。

無人島でも生き残れそうですね。

ゆくゆくは漁師ですか?

実はそれはただの趣味で、やっていることは遊漁船にのって魚が釣れる場所に釣れていってもらい、設定された条件で最大限試行錯誤して釣りを楽しんでいるだけなのに「漁師」を名乗っているひともいたりする。それはそれでよいと思う。

たくさん魚が釣れる状況というのは、目の前に必ずあるとは限らない。

実際のサバイバルで強い人というのは、目前にある生き物を食料に変えられる人なんだろうなと思う。探す力もそうだが、街中など、今、そこにあるものを食べられる人は強いと思う。

はたして、わたしは自分の子が成長したときに、親として尊敬されるのか。本映画の親になった場合、自分はどうふるまうんだろうか。なすすべもなく、息子や妻にキレてしまうんだろうか。

そう思いながら近所の川に群がる錦鯉を眺めていた。ものすごくまずそうだった。だけども、自分は事あったときには、容易にたんぱく質を調達しやすいこの海辺の街を離れないだろうな。そう思った。

この映画は多少リアリティに乏しいところはあるが、親として個としての人間が生き残るという視点で一つ考えるきっかけになる。

人の親になる人、人の親である人にはぜひ見てほしい映画であるし、そうでない人にも見てほしい映画ではある。

アイキャッチ画像出典:Amazon

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ABOUTこの記事をかいた人

平田 剛士

ORETSURI編集長。釣り歴30年ぐらい。いつの間にか釣りメディアをはじめていたもので人生不思議だなーと思っている今日この頃。 口癖は「釣りはいいよねー」