人間は常に問いをもっている生き物。
釣り人も一緒です。
今日も世界では多くの問いが生まれ、答えが見つかっています。
そんな中、インターネットでは確かではない答えがいろいろと流布され、それがまことしやかに拡散されたり。
そんな、ウェブ上に転がっている『釣りのなぜ?どうして?』について、釣りメディアORETSURI編集長の平田が勝手に回答する本シリーズ。
今回の質問
平田さんにとって、釣りとはなんですか?
質問者:のぞむさん
<平田の回答>
「一生クリアできないゲーム」
今回の質問は、釣りとはなにかという哲学的な話です。
釣りとはなんでしょうね。
国の仕組のなかでは釣りは『遊漁』という取り扱いではあります。
釣りって、人によっていろいろなスタンスでのぞめるのがいいかなと思っています。
- おいしい魚をゲットするために釣りをする
- レアな魚を釣る感動を味わいから釣りをする
- 単に暇つぶしで釣りをする
他にも人の年齢・性格・スタンスによって、いろいろな釣りへの向き合い方があると思います。
釣りという趣味はありふれていますが、様々な趣味の中でも特異性があると思っています。
釣りは物心ついてから狩猟本能を刺激されるのかのめり込んで遊べるし、それこそ老人になっても体力の続くかぎりは楽しむことができます。
また道具の進化により性別にかかわらずいろんな釣りにチャレンジできます。
たとえばプレジャーボートの釣りであれば、デカい魚でも、ヒットしたあとにドラグをゆるめにして船を上手く操船すれば非力な女性でも巨大なカジキなどを釣ることができるわけです。
釣りの対象魚は何もカジキやクロマグロのように巨大なものだけではないのも面白いですね。
大の大人が、田んぼの脇の水路で、じっと、タナゴやクチボソあたりを釣っていたりするのをみると、釣りという趣味の深さを改めて感じます。
それと、老若男女問わず、人種を問わず釣りを趣味にしている人はいるので、そういった共通話題ができるのもよいかなと思います。
あれ、なんの話だったか。
・・・
平田さんにとって、釣りとはなんですか?
でしたね。
そうですね。
わたしにとっての釣りは一生クリアできないゲームなのかと思います。
釣りにハマっているひとであれば、あたまのなかに常にこんな考えがあるはずです。
- ○○を釣りたい
- ○○cm釣りたい
- ○○をつかって釣りたい
- ○○で釣りたい
などなど。
この要素が無数にある+不確定要素の多すぎる自然のフィールドは同じように見える日でも二度と同じ日はあり得ないのです。
先月の同じ潮周りで、○○したら釣れたな、というのも1か月たったりそのときの水温や風などによって二度と同じ釣りはできなかったりします。
でも、同じような釣りはできる。
そのパターン(定石みたいなもの)を脳内に多くもっていて、かつ場の状況に応じてパターンを組み合わせたり削ってつかえるような人は良く釣る傾向にあります。
でもよく釣る傾向にあるだけで、初心者といったら、その初心者が一番大きな魚を釣ったり。
そういった予想だにしなかった結末をみたり、体験したりするのが楽しいのでわたしは釣りをしていますし、死ぬまで釣りをするんだと思います。
自然を相手にする遊びなので不確定ですし、何しろ水の中は見えないのがよいですね。
今の時代は魚探やらソナーやら水中カメラやがありますが、やっぱり見えない世界を想像して、狙った通りにアタリがでて結果につながるというあたりは最高におもしろいんだろうなと、
ではでは。
※質問がないとエンドレスでYahoo!知恵袋などの質問を勝手に回答していく仕様です。
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釣りの中毒性については大江戸釣客伝をよむとわかりやすい。