先日三浦半島の某川を眺めていたら小魚の群れがいた。
なんだろうハヤだろうか、ボラだろうか。おー鯉もいるなー、するとナマズもいそうだなーと思って観察していたら、案の定にょろにょろするのがいて、そらやっぱりいたかと思ったらそれがなんと50センチ強のウナギで、表層近くでかなりアグレッシブに小魚を追いまわしていたのをみた。
ウナギって、やる気があるときは魚をかなり追いかけるのだな。
さて話は変わるが、今回も手漕ぎボート釣りの話をお送りしようと思う。
え?なんでORETSURIは手漕ぎボート釣りの記事が多いのかって?
ふはははは。何を隠そう、それはわたしが手漕ぎボート王国に住んでいるからなのだ。
三浦半島は手漕ぎボート釣り王国
三浦半島といえば知る人ぞ知る海の手漕ぎボート王国。というのは大袈裟かもしれないが、関東でも手漕ぎボート屋さんが多い地域だ。
半島の東をみれば、金沢八景・堀の内・京急大津・観音崎/走水・鴨居・野比・津久井浜・三浦海岸。
西をみやれば、材木座・逗子/葉山・佐島/長井・小網代。
そして地域ごとに複数のボート屋さんがある。
ほらね、アナタもここまで読んで三浦半島が手漕ぎボート王国なんだとおもいはじめただろう。
葉山でボート釣り
この日は葉山からボートで海に出ようとした。
はじめに鐙摺港北側にある小浜の鈴木ボートさんにいってみたところ、店主に怪訝な顔をされ、「天気予報見てきた?」と質問される。
あ、ダメなのね・・・
一応、スマートフォン上の天気予報はみてきてはいたので、「午後あたりから風が強くなりそうですね。南風が5メートルぐらいですかねーこの通り」といってそそくさとiPhoneの天気予報をみせると、齢70歳ぐらいの店主は、「それは携帯だからあれなんだけど、わたしたちはこうして海の風と雲の動きをみて判断しているのです。雲もだいぶ動いているし、今日は命がけになりますよ。やめておいたほうが身のためです」とのことであった。
老人が見る南の空を一緒にみつめ、なるほどそうなんだろうな。そうおもい、場をあとにようとすると、「この名刺を渡しておくので、事前に電話してからきてください。」と、丁寧に言う。
備えあれば患いなし。「何時ぐらいであれば電話しても大丈夫ですか?」と問いかけると、「前日は19時ぐらいまで、朝は5時すぎぐらいであればだいじょうぶです」とのこと。
「乗り合いももう出ちゃったよなー」
そう鐙摺港の方をみながら一人事のように口に出すと、老人が、「そうだねー。7時前に出て行ってしまいましたよ」という。
どうしよう。
「このように八方塞がりになったときにビジネスマンの真価は試されるんだ」
むかしつとめていた会社の部下にそんなことをいったことがあった。
わたしはこんな八方塞がりのときにどうするのか?
数分後、コールマンのクーラーボックスを、がらがらひきずり葉山の方面へ歩いて行く男がいた。
葉山のボートから神仏に見守られて出船
老人とわかれてからネットをみると、或るボート屋がだしている情報で昼までは出船するとあったのだ。
はは、これ幸いなるかな。
捨てる神あれば拾う神あり。
ということで無事海に出ることができた。
それもこれも、すべて己の日頃の行いが良いからに違いない。
神仏は必ず見ているんだよ。わたしやあなたががまったく釣れてないのもずっと見ている。
では、なぜあなたやわたしが釣れてないかというと、ふふふ、それはもれなく神仏による試練であって、それは来るべき時へ敷かれた神聖なるロードであるからなんだ。
なんだそれは。
じぶんで突っ込んでしまうぐらいの強引なもっていき方だ。
そんな強引な引きをみせてくれる魚を釣りたい。
とにかく、曳舟料金を支払って沖へ。神仏よ照覧あれ!
イケス付きボートが好き
何を隠そう、わたしはイケス付きのボートが好きな派に所属している。
なぜかというと、釣った魚(餌になる)をイケスに放すといつまでも元気であるからだ。
魚も、自分が釣られたのを忘れたかのように元気に泳ぎ始める。それがイケスだ。
このイケス付きのボートはおそらくノーマルボートより単価が高いとみえて、多くのボート屋であまり見かけない気がする。
「次の曳舟でいくのでちょっとまっててください」
「おーす」
乗船前にしこしこタックルを用意して、岸にたどり着くと、わたしは曳舟のタイミングを2発外していたことに気づいた。
「外しているのは、曳舟のタイミングだけなのだろうか、お前は人生のタイミングも外しているのでは?」
こうして、曳舟のタイミングを外して20分ほど待ったわたしにあてがわれたのは1艘のいけす付きボートだった。
な、なんということだ。やはり今日はツイている。
ボート釣りの神々。相模湾を司る海神。亡くなった爺さん婆さん。昔飼っていたゴールデンレトリバー。
そのすべてがわたしに微笑んでいる気がする。
が、荷物をつみ込みはじめた途端、あることに気づく。
臭い。
臭いぞ。たしかに臭い。アンモニア臭。
このボート屋では、前日引き揚げたボートを清掃しないのかオキアミがたくさん落ちていてかなり蠅がたかっていたのだ。
が、わたしはこうしたことに動じない主義であって、まーそういう方針なのだろう。それはそれだ。というように割り切るに至った。できれば掃除しておいてほしいんだけど。
いずれにせよ、イケス付きのボートにあたったことはうれしい。
神仏、サンキュー!わたしは、曳舟のお兄さんがやってくる沖をみてまぶしそうに感謝した。
じりじり焦りながら釣る
ここは葉山沖。水深20メートル付近。
わたしはものすごく焦っていた。大物釣りを司る神仏にみられているからか?
いやちがう。
腹にのっぴきならない差し込みを感じたからか?
いや、それもちがう。
この先の人生に不安を感じたからか?
いやいや、それもちがう。
そろそろページを閉じてしまいたくなったアナタのために、答えをいおう。
そう、それは試合の残り時間が短い気がしていたからに違いない。
ここで断言するが、ボートは試合である。
だれと戦うのか?Who?
それは魚でもあるし、そもそも魚を育んでいる母なる海でもある。
が、戦うのはなにより、自分である。
あえて言おう。ボートは己との試合である。
古今東西、この手の「自分の真の敵は己だ!自分に打ち克て!」的な表現には齢35歳で飽き飽きしているが、それでも、
ボート釣りは己との戦いだと断言したい。
このとき、わたしは己との戦いに敗北しつつあった。
わたしは焦っていた。
昼あたりになってしまうと強風が吹き、そもそものボート釣りが終了することが恐ろしい。
こうして、わたしは釣りそのものを楽しむという本来の目的より、早く釣りたい、早く釣らなければ、早く釣らなければまた読者諸氏に笑われてしまう。ぶるぶる。
また腐れ釣りを無理矢理記事にしてお茶を濁すという気の遠くなる努力をしなくてはいけなくなってしまう。
釣れている記事ほど楽なものはない。釣れないときの記事は針のむしろである。
そう、焦っていた。
ここで深呼吸をして、まわりのボートを見る。
ははは。たいして釣れてないじゃないか。おほほほほ。
ここにきて、わたしは落ち着いてきた。
ま、君たちみていたまえ、70㎝オーバーのモンスターマゴチを釣って余裕綽綽で凱旋してやろう。
今回の記事のタイトルは、『70センチオーバーのモンスターマゴチを葉山のボート釣りでゲット!』である。SEOもばっちりである。
ふはははは。勝ったな。
メゴチ不在
この日の釣りは、メゴチを釣って泳がせでマゴチを狙うという最近こだわっている釣りだ。
不吉である。
なにが不吉なのか。そう、メゴチがいないのだ。
集団疎開か?北のミサイルをおそれて、どこかにいってしまったのか?
よくわからない。
でも、メゴチがいない。
イソメをつけて、颯爽とメゴチを釣って・・・
と、釣れてくるのは、真鯛の幼魚。
逃がしたいのだが針を飲み込んでしまう。これは針を外したあとに持ち帰って食べようとしたが、10メートル先でカモメが物欲しそうに見つめてくるので、これも輪廻転生と、納得をつけて放ってあげた。
すると、カモメは風のようにぷかんと白腹をさらしうかんだ真鯛にとびかかり、奇声をあげつつ北へ向かって飛んで行った。棘には注意しろよ。
引き続き、イソメをつけて、メゴチを釣って・・・
む。貴殿(※)である。トラギスである。どうしたことか貴殿ばかりしか釣れない。
長月やメゴチが消えた葉山沖
駄句を一句口ぐさむぐらいメゴチが釣れない。
もうしょうがいないので、イケスで活き活き泳いでいるトラギスを南無阿弥陀仏と慈悲の心でやさしくつかまえ、泳がせ仕掛けにセットし、羅刹の表情でバランスシンカー15号ごと落とし込む。
するするする。
羅刹。
着底。
蜘蛛の糸。
芥川龍之介の小説『蜘蛛の糸』では、極楽の蓮池から道楽者のお釈迦様が、ダイワのマゴチXを通じて蜘蛛の糸(PEライン)を地獄に垂らし、極悪人のカンダタがそれを伝って極楽を目指してのぼってくるものの、やがてその他の罪人と蜘蛛の糸を争って暴れたところ、突然。ぷつんと糸が切れてしまう。
なんというかなしいお話であろうか。
そんなことを考えながら、物憂げにみると、水面はなめらかにゆれている。
まだ風はほぼなく、アンカーをあげ、北風にながされつつ泳がせ釣りをする。
ここで営業的にいわせてもらえば、
「このとき、平田のマゴチXにアタリが!」
的なことをいいたいが、全くアタリがない。
出船前、かつて旦那さんが漁師であったという婆さんから浜で話しかけられたが、その中に、「何釣りにいくの?マゴチ?マゴチももう季節外れだからねー。天ぷらとか刺身とかなんでもおいしいんだけどね」という台詞があり、それがいまさらになって呪文のようにリフレインする。
「マゴチももう季節外れだからねー。天ぷらとか刺身とかなんでもおいしいんだけどね」
「マゴチももう季節外れだからねー」
「マゴチももう季節外れだからねー」
「季節外れだからねー」
嗚呼。もうマゴチも疎開してしまったのかな。
コマセに手を出す
この頃、ボート屋のお兄さんが船外機付きボートで見回りにきてくれて「釣れますかー?」的な声掛けをしてくれる。
ほっとする。わたしはこのお兄さんがなんだか好きである。
しかも、まったく釣れていないで、頭には、浜の婆さんによるリフレインである。
それを打ち消すかのような、「釣れますかー?」
は!っとして婆の呪いから抜け、
「あ、ぜんぜんっす。まわりはどうですかね?」
と、釣れてないアピールをしつつ、まわりの状況確認をしてみる。
すると、お兄さんが、
「あら。そうですねー真鯛とイナダがちらほら釣れているようですよ」
ということを教えてくれる。
「もうちょい先にいったほうがいいですかね?」
「ですねー、でも青物だったらこのあたりも回ってきますよ」
とのこと。
ほう。青物だったらこのあたりも回ってきますと。
ほうほう。
ということで、泳がせ釣りでマゴチを釣るという、「僕、将来ミュージシャンになるんだ!」的な青臭い考えは捨て去り、現実的に釣れるであろうコマセ仕掛けを速攻でセットして落としてみようとしたらオキアミがないことに気づく。
大人は常に代替案を考えなくてはいけない。わたしは刺し餌にイカの塩辛を刺すのだった。
そのむかし、小網代湾でイカの塩辛に70センチぐらいの真鯛っぽいのが来たことがあるしな。
まったく姿形はみてないけど。
そして、マルキューのサビキ君1キロ。
こういういろいろ入ってる撒き餌って釣れないんだよなー、そんなに釣れた経験がないしなーと思いつつ、大人は常に代替案を考えなくてはいけないと自己を制し先に進む。
戦いは進行中なのだ。
が、
案の定コマセ君は、ビシカゴに入れるのには適しておらず、仕掛けを下す間にほぼすべてが煙幕になって消えていくという体たらく。
『ふざけんな馬鹿野郎いいますわ』
これは、かつてマネーの虎で小林敬という社長が、言い放った暴言の一つである。
『うちの社員がこれをもってきたら、殴ってるでしょうね。 ベーシックなものをこんなおちゃらけ状態で出されたらね、論外ですわ。 ふざけんなバカヤロウっていいますわ』
わたしの精神も釣れない生活が続いたせいかだいぶ荒んだようだ。マルキューさんごめんなさい。
とはいえ、このサビキ君はビシカゴの釣りには全く適していないわけで、ほぼ釣りにならないという次第。
と、一人海上で罵声を上げているなかで、
ライトゲームBBが40号のアンドンビシにいい感じに曲がる。なにかこい。ていうか青物こい。イナダよやってこい。
ツツツ。
む!
正体みたり!きえー!
フハ。貴殿でしたか。ヒメジくん。
イソメでラストファイト
こうして、わたしはLT五目という選択肢をすて、イソメをちょい投げするという最初のステージに戻ってきた。
が、イソメをなめてはいけない。
イソメこそ万能餌中の万能餌。餌業界の革命児である。
この革命児を投げれば、海の魚たちはみーんな喰いつきたくなる・・・
うお、なんだこの引きは!
ウルトラライトロッドがしなり、レブロス2000がわざとっぽくドラグを鳴らしてギーギーいっているぞ。
うわ。貴殿でしたか。ショウサイフグ氏(おそらく)
いいサイズですが、お引き取りいただければ幸いです。
その後、やけに大きなあたりがあり合わせてみると、全くひかない。
なんだかヒトデ界隈がかかったときの水の抵抗かな・・・
あ、
あわわ、
貴殿でしたか。巨大メゴチ君。しかもとんだスレがかりで。君、スレ間違えてますよ。マジで。
このあと、手のひらサイズのマハタと真鯛が釣れたのですが、マハタは良心の呵責にかられまた会おうという偽善台詞をなげかけつつリリース。
真鯛は20センチぐらいとリリースサイズなのですが針を飲み込んで流血したのでキープすることに。
強風にて沖上がり
13時30分ごろ風が強まり、波も高まったので沖上がり。
ランカーメゴチと手のひら真鯛という散々な結果をクーラーに隠し、ボート屋へ戻ると、その他のみなさんはコマセで爆釣だったようでイナダやら真鯛やら巨アジやらをニコニコ。
わたしはといえば女将さんの「釣れました?」に対して、「〇△※でした」と我ながらなにをいってるのかわからないまま、どうにもこうにもいたたまれなくなり、道具も洗わず、悲しみの果てになにがあるかなんて誰も知らないと、葉山のしなそば小浜でしなそばとギョーザをたのみ、満腹になって帰宅しあと、うっかり泥のように仮眠した次第。
次は釣る!
※本釣行の料理記事をどうしてもみたいという方は覚悟してこちらからどうぞ。