釣り人に悪い人はいないのか?

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福浦岸壁 ヒトデ
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ネットやTVでは日々様々な事件について怒ったり悲しんだり批評する人がいる。

誰もが微笑むことができる喜しい話題もあるけれども、かかわりたくないような負の事件も多い。

そういった話題に接しなれていると、世の中はどうも不幸なガスで充満しているようにも見えてくるから不思議だ。

ちょっと前にこんなツイートをツイッターで見た。

「釣り人に悪い人はいないのか?」

これまで何度も問われてきたものだと思う。

『モー娘。』のハッピーサマーウェディングの歌詞のなかにも「釣り好きの人には悪い人はいない」云々という根拠薄弱な前提条件があったりする。

紹介します 証券会社に勤めている杉本さん 背はまぁ低いほうだけど 優しい人お父さんと一緒で 釣りが趣味なのだって お父さんが「釣り好きの人には悪い人はいない」って言ってたし

このお父さんはたぶん釣り好きなんだろう。

いやきっと釣り好きだ。

「なんとなくルアーでブラックバスを釣ってます、スピナーベイトが好きっすね」っていうよりは、エサ釣り師のような気がする。

しかも沖釣りが好きな系統だ。

 

お父さんは娘がうまれて、やがて小学1年生ぐらいになったあたりから、策を弄しはじめどうにか釣りに巻き込もうとしてきた。

或る日、近くのイオンで妻が買ってきたおつとめ品のハムカツをかじり、瓶ビールを片手に、こう言う。

「あれだな。俺が思うに、釣りをやる奴には悪いやつはいねーな。みんな根はいいやつなんだよ。お前も知ってるだろ、高田。あいつは適当な奴だけどまーなんというか、いいやつだよ。こないだもよ、朝、船宿にきて竿を間違えてきてやんの。マダイ竿はマゴチにはつかえねーやな。胴があまい。にしてもハムカツってやつはうめーなー」

・・・

父親としては娘が小さいころから釣りの良さをすりこみたい。

むしろやがては釣りに巻き込んでやろうかしら。それは名案。それでいこうよ、そうしようよ。

そうおもって、釣りの良さ、釣り人の良さみたいなことを散々言う。

だけども、娘は小さいころなどはハゼ釣りなどについて行ったものの、やっぱり釣りにのめりこまない。

釣ったハゼの天ぷらは美味しいが、そのために毎週末に暗いうちから家を出ていく父親の気がわからない。

バカじゃないのかそう思ったりする。むしろバカの専門商社のような気もしてくる。

それでも父親は、がんばって釣り人の良さを娘にとく。娘はいつも通り受け流す。

 

さて、時は過ぎた。

娘は合コンで出会った、一見優しそうな証券会社の背が低めの杉本さんに恋をする。

顔がいいかというと、そうでもないが、将来を考えてそろそろ結婚したくなる。

同期は結婚しているし、寿退職のお祝いも4人ほどしてきた。結婚式の御祝バランスでいうと圧倒的に赤字である。

が、困った。父親は金融系の人間が全員嫌いなのだ。

なぜ嫌いか。

それは父親が偏屈大学偏屈学部の卒業生であるというのもあるのだが、その実、あんまり金がないからだ。

金の恨みはなによりも怖い。

ノーマルサラリーマンかつ自宅のローンと馬鹿の一つ覚えのような釣り具購入や船宿費用によってたいした貯蓄もない。

だから銀行とか証券とかマスコミみたいな言葉をきくといつも機嫌が悪くなる。

これはそれぞれの想定年収を自分のつつましい年収と比べてしまうからだとも言える。

むしろ今や銀行・証券・マスコミなどより、もっと富裕層はいるわけなのだが、やはり身近な富裕層ほど憎く思えるのかもしれない。

もうこればかりは難しい。

嫌なものは嫌なのだ。

とはいっても娘はあきらめたくない。

いったいどうしたらよいのか。

 

そこで娘は一計を案じる。

そうだ、背が低い証券会社に勤めるやさしいと思われる杉本を釣り人に仕立てよう。

それだ。それしかない。

父親はいつでも「言行一致がどうのこうの」といっていた。

であるならば、自分が過去に何度も発言していた「釣りをやる奴に悪いやつはいない」という言葉を守らなければならない。

勝機が見えた。

 

対して、杉本である。

同氏は娘の美しさと肉体を愛している点と、己の背が低くあんまり顔はよくないという点を踏まえて、ここで結婚しないと孤独の荒野かもしれないと考えたりする。

一生孤独で夜遅くに売れ残り総菜のいやな油が滲んだハムカツをレンチンして発泡酒を3缶ほどかまして、酔った勢いで匿名にてTwitterに知らない誰かにクソリプ、逆恨みしている元知人・友人に呪詛、Facebookにクソコメしているようなハゲとして死んでいくのはいやだ。

そう思ったに違ない。

こういった理由から杉本は一切興味がなかった釣りの知識をつかんでいく。

昨今の釣りブームである。

釣りが好きな芸能人も多いし、釣りを取り入れたバラエティー番組も増えてきた。

よく考えると得意先や上司にも釣り好きの人が多い気がする。

であれば、釣りについて一定の知識をもてば話しも弾むし、結果的に商談もうまくまとまり、やがて昇進する。

昇進したら給料が増えるし、風俗に通う回数も増えるのではないか。

これはチャンスな気がする。一挙両得というか十得ぐらいありそうな気配とでもいえよう。

杉本に全能感が舞い降りた。

最早、俺は諸葛亮。

あとはとんとん拍子だ。

「ほーん、釣り竿はロッドっていうんだな。リールにはスピニングリールとベイトリールというのがあるのか。釣りのウェブメディアにはORETSURIってのがあるんだな。ほほほ。そんな興味ねーけど、むこうのお父さんに話を合わせられるように船釣りをやっておこう。はーん、LTアジ釣りが一番簡単なのね、東京湾ならば。ははん、ライトゲームBBとゲンプウ買っておけばいいのか、PEは2号が長持ちすると。ほーん。タチウオとかやるなら、バルケッタBBがあったほうがいいな」

という次第で、杉本はORETSURIにかかれていた内容を読み込み金沢八景の船宿からアジ釣りに出る。

元来、銀行や証券会社に就職するような人はちゃんと勉強をするような人が多い。

だから書いてあることをちゃんとやる。

購入するアイテムも紹介されている通り、シマノがよいとされるものはシマノ、ダイワがよいとされるものはダイワを買う。

結果、まー釣れる。

あたりまえである。ORETSURI万歳。

 

2か月がたった。

今日は娘が杉本を父親に紹介する日である。

娘は必勝を胸に父親に杉本を紹介する。

杉本も勝利の栄光を目前として、こう言う。

「はじめまして、杉本と申します。趣味は釣りで、船釣りが好きです」

 

このあとどうなったか。

 

それはだれもわからない。

 

ここまで書いたならその先も書いてほしい。そう思う人もいるかもしれないが、わたしもそう暇ではない。

あなたは無料のコンテンツにどれだけ期待しているのか。

 

父親は宴席で、杉本がただのにわかで、むしろ人としてダメだろコイツという事実を見事看破するかもしれない。

父親の知力が80ぐらいあれば、このあたりはわかりそうでもある。

もしくは、

「じゃあ杉本君。今週の土曜日、マゴチを釣りにいこうよ。私はマゴチが好きでねー。餌だよ、ルアーじゃないんだ、餌マゴチが好きだよ。前あたりを本アタリに変えるあの感覚がたまらないんだ」

というように、やや技量が必要な釣りに杉本を誘う。

そして杉本がいつもの癖で息を吸って吐くようにタバコのポイ捨てをしたり、父親よりミヨシ側なのにくわえたばこで煙をくゆらせ続け、父親をいぶすという事案に遭遇し、自説「釣り好きの人には悪い人はいない」が誤りだったと実感するかもしれない。

釣り人が二人いれば一度はわきおこるシマノとダイワについての論争については、きっと杉本が「いやーやっぱりお父さんのおっしゃるとおりですよ」と、どちらにころんでも鍛え抜かれたリーマンスキルで折れるため、それほど炎上はしないはず。

そして父親は「やっぱりリールはシマノがいいよな」という既定路線をこれからも心地よく歩める。

 

さて、この文章もそろそろ終わりにしたい。

実際のところ、子供がうんこをしたのでおむつを交換したいのだ。

 

ここでわたしの見解を示しておくと、証券会社に勤めていても焼き鳥屋で毎日串を焼いていても、会社の社長でも、どこぞの国の大統領でも「釣りが好きなやつに悪いやつがいない」ということなどありえないということだ。

釣り人も釣り好き以前に人間であって、あなたの会社や取引先にいい人がいればクソ人間がいるのと同様で、ダメな釣り人もいる。当然不義理武将もいる。

釣り好きを広言していても、他人の釣り好きを尊重しない人は多い。

魚を釣りたいという欲求が何よりも先に立って、環境や他の釣り人について何も考えられない人もいる。

 

釣り人に悪い人はいないのか?

いや、いる。

確実にいる。

 

だから釣り場からゴミはなくならないし、釣り人同士でも程度の低いトラブルが起きるのだ。

このテーマでは、「本当の釣り好きには悪い人はいない」といった意見もよく聞く。

これは、思考能力が低いと「なんとなくそうかも」とも思えてくる。

でも、「本当の釣り好き」とはなんだろうか。本当の○○。

「本当の○○を見せてやりますよ」

どこぞの新聞社にコネなのか、謎にやとわれた不良社員のセリフである。

そんなものは人によって定義が異なるとは思う。

なので、この定義を自分なりに考えてみる。

これは、魚を釣ることが好きというよりも、魚を釣ることを中心にいろいろなことを好んで楽しめる人なんじゃないかなと思う。

  • 自然が好き
  • 釣り場のロケーションが好き
  • 魚が好き
  • 釣り道具が好き
  • 魚を釣るという行為が好き
  • 釣りを一緒にやる仲間や釣り場での出会いが好き

などなど。

この様々な釣りにまつわる好きの要素が多くなってくると、好きの濃度や豊かさが増す。

これは間違いないと思う。

ただ単にでかい魚を釣るのが好きとか、たくさん釣るのが好きとか、釣り道具が好きというような単眼的な好きではなく、複眼的な好き。

こういった釣りに関して複眼的な好きをもっている人は「釣り場をただ魚が釣れる場所」ととらえていないだろうし、他者の存在もきちんと意識している。

大人として「ふまえている」存在なのだ。

 

世の中でいろいろなことを楽しむためには他者や環境への配慮も必要だし、配慮することで自分がすくわれることも多い。

悪い釣り人といえば、ゴミを捨てたり、ほかの釣り人や地域の人・漁業者などとトラブルを起こす輩があげられると思う。

こうした人たちも釣り人だとは思う。暴走族と呼ばれる人もバイク乗りの一つではあるのと同じだ。

が、どんなに釣り好きでも、これらの人が釣りを本当に好きなのかというと、疑問が残る。

では、この疑問はなんだろうか。

 

「俺だって釣りを楽しんでいるだろう。え?ゴミはメンドクサイから捨てるよ。先行者がいても挨拶とかめんどくさいし、俺はいつだってやりたいようにやりたいから割り込んでクロスキャストするけどもね。だってそのほうが、いいポイント狙えるしね。ゴミは釣り場に全部捨てるから身軽だし、ランガンしやすいんだわ。がはは、ワロス。俺はデカイ魚を誰よりも釣りたいのさ。俺は本当に釣りが好きなのさ」

 

釣り場で人に迷惑をかけたり、環境に過剰な負荷をかける人の思考はわからないが、想像するにこんなところなんじゃないだろうか。

こういった人たちに欠けている視点は、自分が楽しいことをやるためには、人の楽しさへも配慮しないといけないという視点だ。

それと、釣りをやりつづけるためには釣り場が存在しつづけないといけないという点。

釣りをしていて自分のことしか考えてない人は、こういった自分以外の誰かの気持ち、釣り場で釣りを楽しむためには何ができるかというような中長期的な視点がない。

犯罪がおきて犯人が検挙され、やがて裁判が行われる。その判決文を読むと、しばしば「被告は極めて短絡的で」というような表現がある。

  • 他者への想像力、思いやりがない人間
  • 短絡的な人間

このあたりは、釣りを本当に好きとはいえないんじゃないか。わたしの定義だとそう思う。

それと、こういった短絡的で無思慮な人とは一緒に釣りをしたくないし、同じ釣り場にいたくない。

これは多くの人にとっても共通することなのではないだろうか。

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福浦岸壁 ヒトデ

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