昨夜、ツイッターで以下のようなニュースが流れてきました。
なんとも哀しい話です。
魚釣りのいいところは一人でもできるどころで、これも一つの居場所かなと。それと老年になっても楽しめるし、技術や経験は若手と比較しても積み重なり、釣果でも若手に秀でることもできる。もちろん、ただ時間を過ごすこともできる。仕事をやめてじいさんになっても釣り糸さえ垂らしてればなんとかなる
— 平田 剛士@ORETSURI (@tsuyoshi_hirata) 2019年3月19日
魚釣りのいいところは自分一人でもできるところですね。例えば外にでて男性が一人でいても、それなりに様になる趣味というのはそれほど多くありません。
釣りであれば、堤防に一人で高齢者がいても、あー釣りをしているなーぐらいにしか思いませんし。
釣りは歳を経ても楽しめますし、かつ、釣りは体力だけの勝負でもないので、若手と比較しても釣果の点でも勝ることもできるわけです。
日本各地の釣り場には、名も知れぬ釣りの「名手」や「達人」がいます。
釣りの経験と、そこからくるカンというものは釣果を上げるために重要です。
昨今では釣り具のレベル(軽量・電動等)も発達しましたし、カジキやマグロを狙うのでなければ、高齢者でもだいたいの釣りができるはずです。
- 毎日行くところがある
- 毎日ワクワクがある
- 毎日でなくっても、今度は○○を釣ろうという目標ができる
- 釣り具屋にいくだけでワクワク
- そのために自分の釣りを工夫する
このように釣りはかなり高齢になっても繰り返し楽しめる。さらに高みにいくのであれば、釣り場にいかなくても、頭のなかで釣りはできますしね。病院のベットの上でこれから死を待つというときも、過去の経験をもとに釣りはできるはず。
釣りの奥深さは無限大。その気になれば趣味で人とつながれる
今日釣れても明日は釣れないかもしれないし、去年の今頃釣れていても、今年は釣れないかもしれない。
釣りは死ぬまでやり尽くすことができない趣味ですし、その奥の深さは無限大です。
また、釣りはスタンスによって他者とつながったりもできますし、つながらないまま自分の釣りを楽しむことができます。
最低限の礼儀さえあれば、釣り場でもトラブルなく楽しめると思います。
もし、人とつながるのが好きな人であれば、同じ釣り場にいったり同じ船宿にいけばいつの間には顔見知りができるはず。
よくおかっぱりの釣り場にいくと、お互いの本名もおそらく知らないのではないかという老人同士が、
「チョーさんこないなー」
「あの人死んじゃったんじゃないの(笑)」
というような会話を繰り広げていたり。
そう考えると、堤防や岸壁は自治体の人が考えている以上に高齢者などのセーフティネットになっているんじゃないかなと思います。
高齢者についてはなしましたが、まだ若い人も、中年でも、釣りに救われた人は多いのではないでしょうか。
昨夜はそういったことを考えながら、ORETSURIでは釣りのワクワクをこれからも伝えていきたいと思ったのです。
このサイトをみれば何かワクワクがある。
このメディアをみている仲間同士でつながる。
今はウェブメディアが中心ですが、リストランテORETSURIのようなリアルイベントやその他のサービスとともに、わたしも居場所は作り続けたいなと思います。それがわたしの居場所にもなるはずなので。
ではでは。
平田(@tsuyoshi_hirata)