「釣った魚をキープするのかリリースするのか」という問題

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魚釣りに必ず伴うのが「殺生」で、魚を愛するという想いと、相反する矛盾が必ずある。

どんなに環境に気をつかっている姿勢をしめし、「魚が可愛い」とか「魚を大切にしたい」と、きれいごとをいっても、釣りをすることが魚の命を奪ったり、危害を加えているのは誰も否定できないと思う。

「釣った魚を料理して食べた、すごく旨かった」

この種の投稿をすると、SNSで、「やっぱり魚を釣ったら食べるのが基本ですよね!」みたいなコメントがつくことがある。

これに対して、実は、そうは思わなかったりする。

目次

なぜ魚を釣ったら食べるのが基本と思わないのか

なぜ、「魚を釣ったら食べるのが基本」と思わないのか。

わたしは、釣りの目的を魚を食べることだけに置いていないからだ。

だから釣って食べるのは基本だとまったく思っていない。食べない釣りもそれはそれで面白いと思うし、釣りをしない釣りだってあると思う。このあたりは精神世界になってくるので深くは述べない。わかるひとだけわかればいい。

もちろん、食料調達を主たる目的にして釣りをしている人もいると思う。それと、食べることで魚の命が浮かばれるという思想もある。

これは仏教的な思想なのかもしれない。

「美味しく食べれば魚も成仏するでしょう」

こういう考え方。

ロジックがよくわからないものの、ポジティブな口調でそんな風に言われると、なんとなくあーそうかもなー、成仏したらオールOKだよね。と思ったりする。

嘘も方便というが、世の中の多くのこと同様、あまり突き詰めてしまうと釣りがつまらなくなる。考えすぎると、自分の首を絞めてしまいがちなのがこの手の議論だ。

じゃあなんで、「釣った魚をキープするのかリリースするのか」ってなことを考えたのかというと、釣りに行かない日々が続いているので、過去の釣りについて考える時間が増えたからだ。

バス釣りの想い出

そのむかし、ブラックバス釣りをしていた。

中学1年からはじめて、高校3年まで熱中した。

どれぐらい熱中していたかというと、高校のときは帰宅部で、合コンの誘いとかカラオケなどは全スルーして、ほぼ毎日のように、放課後に近隣の野池に釣りにいっていた。

中学生の頃は、自転車で隣の市まで釣行していた。

夏場だと自販機でカルピスソーダあたりをかまして、休憩もいれつつ、往復3時間ぐらい、大汗をかきながら通い詰めたのだ。

自転車で1時間ちょっとの道のり。よみがえる想い出

大学生のときにも年数回の帰省にはバス釣りをやったが、次第に足が遠のいた。

ブラックバス釣りをめぐる国内の環境が変化したからだ。

特定外来生物に指定されたブラックバスを釣ること。釣って逃がすことがそもそも法的にどうなのかという、後ろめたさが濃くなった。

ブログに書いたりYouTubeで動画をUPするといっても、リリースしているのは明確なのにそのあたりを公開すると問題になるので控えたり。

なんとも後ろめたいのが厭だなと思う。

バス釣りは面白くて底抜けの魅力がある。そう思いながらも、いつの間にかその道をぬけて、違う釣りにシフトして精を出すようになった人も多いと思う。わたしもそうだ。

むかし、バス釣りをしていたときは、わたしもリリースメインであった。とはいえ、殺してしまうこともあった。ワームフックを飲まれてしまって、どう考えても生還しないだろう個体を持ち帰ってムニエルにして食べたこともある。

バター焼きおじさんの存在

当時、渡良瀬遊水地付近のとある野池に通っていた。

或るとき、そこに、ミミズをつかってばかすかバスを釣る中年男性があらわれるようになった。

ワームでは一向につれなかった何の変哲もない岸際。水質もよいため大型の魚があまりいないのがよくわかる場所。

入り口から近く、足場がいいところは、人が多いので魚影が薄いし、プレッシャーも強いというのはどこも一緒だ。

が、そこで、のべ竿で爆釣。

ミミズの威力。

しかも、この男性をみていると40cm、いや45cmぐらいの個体も釣れている。

まさか、あんな何の変哲もないポイントにあんな大型のバスがいたのか。なんてことだ悔しい。対岸で子バスを釣りながら、そう思ったのを覚えている。

その釣り人は、釣ったバスをすべてスカリにいれていた。

その人は「ブラックバスはうまいからバター焼きにするんですよ」というようなことを言っていた。自分から聞いたのか、むこうから話したのかは覚えていない。

当時のわたしは、このおじさんにどんどん釣って持ち帰えられたら、自分の愛するこの池でデカいバスが釣れなくなってしまう。そう思った。

要は、反感を持ったのだ。

帰り路、一緒に釣りにいっていた母の妹とも「ぜんぶもちかえっちゃうんだからなー。せめて持ち帰るなら一匹とかにしてほしいよね」みたいな話をしていた。

人の感覚は変わる

時を経て、今。

バス釣りは前述の通り、やらなくなっているのだが、あの時のバター焼き中年男性を振り返っても、反感みたいなものは全くない。

むしろ、あのぐらいの40cmぐらいのバスは確かにうまかったんだろうなと思ったりする。自分で食べたバスはそれほど大きくなかったから。

彼は、旨い魚がほぼ無料で手に入るから、うほうほだったんだろうなと。

このように人の感覚は変わる。

バス釣りをしなくなったというのもあるし、成長して大人になったというのもあるとは思う。

色んな釣りをやると見えてくるものがある

話を戻す。「釣った魚をキープするのかリリースするのか」という問題については、「ルアーマン」と「エサ釣り師」のスタンスの違いでもあったりする。

もちろんルアーマンでもキャッチ&イート派はいるし、エサ釣りでもヘラや鯉は持ち帰らない。

が、だいたい大きな構図としてはルアーマンは釣った魚をリリースする傾向にあると思う。これは、欧米のゲームフィッシングの影響があるからだ。

釣りを広義のゲームとしてとらえる。

食べるところにゴールはなくて、狙って釣るところにフォーカスしたもの。

エサ釣りは、より確実に魚を釣ることができる傾向にあって、その確実性の先に、魚を調達するという目的が確かにあったりする。

細かいことをいえば、もっと細分化されるが、大枠ではそんなところだと思う。

そろそろまとめたい。

「釣った魚をキープするのかリリースするのか」という問題について。

これは、いろんな釣りを経験することで、最終的には「どっちでもいいんじゃない」という答えになるのではないかと思う。

他の釣りの良さや考え方。これは、やはり経験してみることで見えてくることも多い。

了見が狭い人は、得てして、特定の釣りしかしないような気がする。

釣ったら食べるのも、釣り。

釣ったらリリースするのも、釣り。

釣りは遊びなんだから、遊びでまわりともめるのはあんまり好ましくはないよなー。

バター焼きおじさんが釣れていた秘密

いいたいことは書いた。

余談だが、バター焼きおじさんがミミズでバスを爆釣していたポイントには秘密があった。

見るからに透明度が高く、大型のバスが見えないポイントだったのに、なんで大型が釣れるのか謎ではあったのだが、その場所で、釣り人がいないときにウェーディングしはじめて気づいたことがあった。

岸辺の下が1m程度えぐれていたのだった。

ここに大型のバスが隠れていたというわけだ。

これは、風波で岸がえぐれるということなんだと思う。河川もふくめて、どの釣り場でも大体共通する。コンクリートでがっちりしているところ以外は。

足元にエグレがあるところは、何の変哲もないところでも大型がひそんでいる場合がある。大型のバスは日中、岸際のエグレに潜み、移動するにしろ、そのエグレのルートをぐるぐると回っていることが多いのだ。

だから、遠投一本槍で沖を狙うよりは、岸際のエグレにワームがカーブフォールするようにしてやると釣れる。ゲーリーグラブのイモグラブをノーシンカーで反対につけたりして。

そう、この新緑の季節はジューンバグが最高だ。

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