ORETSURIをご覧のみなさん、こんにちは。サラリーマン・アングラーの釣人割烹です。
コロナの感染拡大で思うように釣りに行けず、欲求が不満しています。
近ごろは竿の改造に取り組んだり、過去の釣りを思い出してTwitter(@tsuribitokappou)でつぶやいてみたりなど、モヤモヤの解消に努める日々を送っています。
そうこうするなか、ORETSURI平田さんがバス釣りに熱中した少年時代を回想しつつ、釣った魚をキープするか、リリースするかという問題を考える記事を書いていたのを読みました。(「釣った魚をキープするのかリリースするのかという問題」)
キャッチ&リリースか。それともキャッチ&イートか。
筆者も長く自問自答し、いつかしっかり論じてみたいと思っていたテーマでした。平田さんはサラッと書いていますが、行間が深く、読みながらいろんな考えが浮かんでは消え、消えては浮かびました。
問題の核心にいきなりアタックすると長くなって収拾がつかなくなりそうなので、筆者も編集長の記事に触発されて自分の少年時代の釣りをサラッと回想しつつ、問題へのアプローチを試みたいと思います。
里山を駆け回る「野ザル」時代
筆者が初めて釣りをしたのは小学校に上がる前の5歳のとき(推定)。
今からほぼ半世紀も前のことです。
母方の実家の高知で、じいちゃんが竹竿を切って糸をつけてくれ、深い田んぼでフナを釣ったものです。
小学生になると野生児と化します。
住んでいたのは千葉市の団地で、すぐ近くに里山が広がっていました。
いま考えると、そこは都市開発で拡大していくコンクリートのまちが、千葉土着の自然とせめぎ合う最前線だったのだと思います。
というわけで、小学校のクラスの半分は勉強ができてハンカチを持つ団地の子。もう半分は「だっぺ」言葉(房総方言)をしゃべる鼻垂れの農家の子でした。
筆者は団地クラスターに属していたのですが、なぜか土着の子たちと仲良くなり、日が暮れるまで里山を駆け回っていました。
最初のうちは魚釣りに強いこだわりはなく、ヘビやカエル、昆虫を捕らえたり、田んぼや用水路でザリガニを漁ったりと、生き物全般に興味を持っていました。しかし、小学校の高学年になると自転車で行動半径が広がり、だんだんと釣りに傾斜していきます。対象魚種はフナやハゼ、セイゴ、イナ(ボラの子)などでしたが、最もやったのはクチボソ釣りでした。
釣りの基本をクチボソに学ぶ
団地の最寄り駅はバスで15分ほどのJR総武線西千葉駅。
駅前には千葉大学があり、大学近くの「千葉公園」には手こぎボートがたくさん浮かぶ大きな池がありました。土日になるとチャリを飛ばして池に行き、クチボソを狙います。
延べ竿から抜き取った穂先に極細のナイロン糸をつけ、唐辛子ウキと板オモリ、タナゴ針をセット。食パンを小さくちぎって丸めたものをエサに、くる日もくる日もクチボソを釣るわけです。
深い緑色に淀んだ水にポチャンと仕掛けを入れると、すぐさまウキがツンツン、ピクピク、ツツーと動きます。しかし、パッと合わせても簡単には釣れません。
なにしろ針は小さいが、敵も小さい。エサの食パンをちぎって丸めずにつけたり、逆に指で丸く小さく固めてつけたり。針先を出したり、隠したり。
そっと仕掛けを上げたり、鋭い合わせを入れたり……。誰に言われるでもなく、いろんな工夫をしました。
「クチボソ」ことモツゴ。その名の通り口が小さく細い
こうして、千葉公園の池でいったい何匹のクチボソを釣ったことか。
何百という単位ではきかないかもしれません。振り返れば「アタリをとって合わせを入れ、魚を針に掛ける」という釣りの基本は、クチボソ釣りで学んだのだと思います。
考えてみれば、クチボソを捕らえるのに「釣り」は非効率です。
いちばん簡単な捕獲方法は、パンの大きなかたまりを池に投げ入れること。クチボソがたくさん集まってついばむところを玉網ですくえば、一網打尽にできます。
その手を使わなかったのは、単に「魚を捕る」のではなく、幼いなりに「釣る」というスタイルに特別な魅力を感じていたからでしょう。
ちなみに、バス釣りは中学生になってから世の中で認知され始めました。世の中でいくつかバス釣りブームがあったかと思いますが、初期の方です。
安いタックルを買い、バス釣りで有名だった雄蛇ヶ池(千葉県東金市の人工貯水池)へチャリで何度か遠乗り。安いルアーを投げて挑みましたが、ブラックバスは釣れず。
それっきり広くて深い疑似餌の世界とは距離を置いています。
釣った魚を「リリース」するでも「イート」でもなく
さて、クチボソ釣り。
問題は釣った魚をどうしたかです。
子供だった筆者はキャッチ&リリースでも、キャッチ&イートでもない「第三のスタイル」を選択していました。
それは、「釣って飼う」です。
横文字で言えば「キャッチ&フィード」(feed:エサをやる、飼育する)でしょうか。
とにかく家で飼い、ひまさえあれば眺めていました。飼うといっても団地で庭はないし、水槽もブクブクもない。狭いベランダにポリバケツを並べ、水を入れて魚を放し、パンくずや安い金魚のエサを与えます。
クチボソだけでなく、フナやザリガニも飼いました。母親はいつもイライラ、カリカリしていました。ベランダは魚が泳ぐバケツやタライだらけ。洗濯物を干すときに邪魔です。
しかも、ブクがないので魚はすぐに弱り、死ぬ。
当然、死ぬと臭う。とくにザリガニの死骸は強烈な臭いを発します(いまも記憶に残っているほど)。
「ちょっとっ! また死んでるよっ! 早く片付けなさい!」
厳しく叱られ、なじられ、死んだ魚をティッシュでくるみ、外で土に埋める。
それでまた釣りに行き、キャッチ&フィード(笑)。
「フィード」と言いつつ、殺すようなものです。つくづく、魚と母親に悪いことをしたと思います。
それでも、飼っては死なせ、飼っては死なせの殺生を繰り返し、悪臭をこらえながら片付けるなかで何事かを学んだのではないかと思っています。
いま、自宅の庭に池を掘ってメダカやフナを飼っています。これは、子供のころ十分に整った環境で魚を飼えなかった怨念の産物かもしれません。
中学時代に開高健の「オーパ!」を読む
中学生になると、さすがにクチボソ釣りは卒業し、江戸川でハゼを釣ったり、千葉の海あたりで「ちょい投げ」でカレイやキスを釣ったりと、本格的な釣りに覚醒していきます。
釣った魚は持ち帰り、切れない包丁で鱗をとってさばくまねごとをする。
母親が天ぷらや煮付けにしてくれました。キャッチ&イートを、何の疑問もなくやっていたのです。
そんな中学時代に、一冊の本を読み、激しく心を揺さぶられました。
作家・開高健の釣り紀行「オーパ!」(集英社文庫)です。
以下は「開高健記念館」の説明。
「オーパ!」は、昭和52年(1977年)の8月から10月にかけて行われた、65日間という現地取材をもとに書かれたルポルタージュ作品(写真・高橋昇)。アマゾン河という取材対象の新鮮さ、スケールの大きさと、その大自然を悠々と描き出していく小説家の卓越した筆力によって、釣りファンのみならず幅広い読者を獲得し、紀行文学の最高傑作の一つとなった。
「釣った魚を食べるのはミートフィッシャーマン」批判に傷つく
開高健は芥川賞作家であるとともに、後年は世界各国を釣り歩いたひとですが、実は強烈な「キャッチ&リリース」派でした。
「釣った魚を食べるのはミートフィッシャーマンだ。下品きわまりない」などと、キャッチ&イートを徹底的に批判していました。
開高のこうした主張は、彼の紀行やエッセイなど活字としては残っていません。のちに筆者は彼の作品をほぼすべて読んだのです。
しかし、講演などでは批判を口にしていました。なにしろ「オーパ!」の出版を記念して、東京都内のデパートが開いたイベントで、彼の講演を中学生だった筆者が実際に最前列で聴いたので、間違いありません。
「オーパ!」をすり切れるほど読み、開高に憧れました。
一方、尊敬する作家から釣った魚を食べるのを「ミートフィッシャーマン」と批判されたことに衝撃を受け、深く傷つくとともに、「なぜ悪いのか?」と疑問も覚えたのです。
こうした経験もあって、高校に入って釣りそのものから遠ざかり、釣り道具の一切合切を、年下で釣り好きのいとこに譲ってしまいました。
開高による釣って食べることへの「問題提起」は、筆者の中で未消化のままホコリをかぶり、深い眠りにつきました。
キャッチ&リリースか。
それとも、キャッチ&イートか。
6年ほど前に釣りを再開し、今は「釣人割烹」を名乗って釣魚をおいしくいただいています。
開高の批判に対し、自分なりの答えを出していますが、これは別の機会に改めて書きたいと思います。
それより何より、一刻も早くコロナが明けますように!
釣人割烹@tsuribitokappou