釣り人口はブラックバスブーム以降、大幅に減少したとといわれている。
レジャー白書によると、今は700万人ぐらいの方が釣りを趣味にしているとのこと。
かつて無料で竿を出せた釣り場は、立ち入り禁止や釣り禁止が増えた。
改正SOLAS条約や、自分のことしか考えることができない思慮の浅い釣り人のマナー悪化が理由である。
結果、同じポイントに釣り人が集中する状況になっている。
「釣れなかった」が発信されない世界
一方、釣りを趣味にしたり、仕事にしている人は変わらずいる。
仕事といえば、昨今はウェブの世界ではわずかながらも広告収益を得やすい仕組もできていて、YouTubeをはじめとして、釣りのジャンルでの情報発信も盛んになってきている。
そんな釣りのジャンルにおけるネットの情報発信をみていると、ウェブメディアの記事でもYouTuberによる動画でも、「釣れなかった」という眼前にあるリアルが隠されている気がする。
だいたいの動画やだいたいのメディアの記事では魚が釣れている。
有名ユーチューバーの場合、釣れない動画は没にするようだ。
そして、だいたい、「○○でアノ高級魚が釣れてしまった!」というような釣り気味のタイトル(クリックベイト)で、
読者をも釣ろうとしている。まんまとクリックしてみると、釣れているのはただのカサゴだったりする。
そういったのも仕方がない世界なのかもしれない。
なぜなら、ウェブの世界ではまずクリックされないと読んでもらえないのだ。
誰かに認知されないこと。それは、世界に存在しないこととほぼ同じでもある。
「釣れなかった」を発信する、ということ。
「釣れなかった」を発信するということは、釣りを趣味や仕事にする人にとって、釣りが下手と思われることであって、やはり恥ずかしいことなのだろう。
翻ってORETSURIでは、依然としてキュレーションが優勢の釣りメディア業界でも、体験記事をメインに発信してきた。
と、かっこよくいってみたものの、こちらも365日釣りにいっているわけでもなく、時にネタがないというのもあって「釣れない」という誰でも毎日経験している内容も、できるかぎり包み隠さずおもしろおかしく伝えようという方針をとっている。
「釣れない」記事は、釣れた記事の数倍難しい難しい。
釣れた記事であれば、人はタイトルやアイキャッチ画像に誘われて記事を読みやすい。
ウェブライティングであれば、釣れている流れを書くのは簡単だ。
が、「釣れない」記事は、書くのが難しい。
なぜって、そもそも釣れてないのに、どうやって記事の進行にメリハリをつけるのか。
そんなことを考えながらいつも、読んでもらいたい「釣れない」記事を書いている。
「釣れなかった」にこそ、釣りのリアルがある
「釣れない」のなかには、釣りのリアルがある気がする。
釣りに求める目的は人によっても異なるし、「釣れる」ことだけが釣りではない。そう思っている。
本当はいつでも釣りたいんだけども、「釣れない」という状況を正当化するためのロジックなのかもしれない。
これはみなさんの中にも共感される方もいるかもしれないが、いつも釣れていると釣りがつまらないと思うことがある。
- 仕掛けを投げれば何かが釣れる状態
- ルアーを投げたら入食いだった。ただ巻でほぼ自動的に釣れる
こうした好条件の釣りは最初のうちは面白い。
が、不思議なことに、魚をどんどん釣りあげるごとに飽きてくる。
筆者はワカサギ釣りや船でのアジ釣りをしているとよくそんな気分になる。ワカサギやアジは群れているのとポイントの判断がさほど難しくないため、ほぼ必ず釣れる。
しかも、かなりの量が釣れる。
そこには、不確定さがあまりない。
決まりきっていることは、人間にとってあまり面白くないことなのだと思う。
釣りも同様、釣れて当たり前の世界はおもしろくないのだ。
日頃、釣れなかったことをSNS等のウェブで発信しない人も、必ずや釣れてないときがある。その打率は人によっても異なるだろうが、必ず釣れてないときがある。
あるときに、釣りのプロとして認識されている村越正海氏が釣り船でカワハギ釣りをしている中、たった2尾しか釣れていなかったことをblogに書いていた。船中でスソ(ビリ)だったそうだ。同氏の船釣りでの釣果は、全体に比較して意外とそれほど釣れていないこともしばしばで、なんとなく共感できるところもある。
釣りに生きてきたプロでも釣れないときがあるのだから、素人なんて、もっと釣れないときがあって当然だ。
『釣れない』ということに釣りの面白さの本質がある気がする
釣れないという経験をすると、釣り人の多くは、「次こそ釣ってやろう」と、いろいろ試行錯誤する。
仕事帰り、いや仕事をさぼって釣り具屋を徘徊したり、暇があればAmazonを物色し釣り道具をそろえなおしたり、釣り方を調べたり、魚の習性を想像したり。釣りに行くべき日をもっと考えて釣行したり。
そして、釣れなかった日を乗り越え、或る日、思った通りに、がつんと釣り上げる。
あの快感。
「まぐれだよ」と、人には言うけれども、内心は、「してやったり」
と、ひとり密かに思う、あの瞬間。
釣りの面白さの醍醐味はそういったところにある気がする。
「釣れない」ということがあってこその釣りなのだ。
『釣り人生活』ここにも、釣れない釣り漫画があった
釣り漫画の話をする。釣りをテーマにした漫画も増えている。
まず主人公の話をすると、釣り人口の大部分が男性ということもあり、男性受けしやすい若年層の女性が主人公(いわゆる『釣りガール』)であることが多い。
これらの釣りガール系のマンガもおもしろいので特に否定はしたくない。より多くの人に釣りへの興味をもってもらうためには有効なリーチだと思う。
今回、『釣り人生活』さとう輝著を担当編集の高橋さんより献本いただいた。
読んでみた。
子持ちの中年男性(作者)が主人公のマンガだった。
そして、これが、実に、『釣れてない』マンガだった。
というのも、この漫画は、主人公のさとう輝さんや担当編集高橋さんなど同行する方々の実際の釣行に基づいたものであるからだ。
そこには、当然、『ボウズ』『オデコ』という釣れない状態がある。
『釣り人生活』では、超リアル・実録釣り漫画を志向しているようで、釣れない状態もしっかり釣れなかったということが、さとう輝さんの落胆とともに描かれている。
- 朝と昼に釣れないから、夜も釣る。
- 今日釣れなかったから、明日も釣る。で釣れない。
などなど、第一巻の内容では、とても釣れてない本だったが、だからこそよんでいて、リアルだなー、おもしろいなと思える本だった(とはいえ、釣っているときには釣っていますよ)
毎回釣れているような漫画もそれはそれでいいけれども、ときに釣れないことに悔しがったり、なにかに憑かれたかのように釣り場に足を運び、なんにも釣れないで空や海を見上げたりするのも、まあいいと思う。
わたしは、自分の「釣れなさ」をも許してあげようと思った。
世の中の釣れていない釣り人のみなさん。
『釣り人生活』は、おもしろいので、試しに『釣れてない』マンガも買ってみてください。
それと、あんまり『釣れてない』ORETSURIも引き続きどうぞよろしくお願いいたします。