三十代の前半、シーバスのルアー釣りにハマっていた時期があった。
シーバスの釣り方も色々あるが、今回は岸釣りの話。それも、ウェーディングをしていて危うく死にかけた話をしたい。
釣り場は都市河川河口。
大規模な河川だと思ってほしい。具体的な河川名は想像にお任せする。
とにかく河口域は広大で、潮の干満によってヘドロまじりの干潟ができる。川底の泥を掘ると、やがて黒くて硫化水素の臭気が漂う。
当時、大潮・中潮のように潮回りがよいと平日でも毎日のように釣りに出かけていた。下げ潮が強くなると、ベイトが流されやすくなるのか、澪筋でシーバスが待ち受けるわけだ。
当時、会社に飽きたのでやめようと思っていて、後輩にすべてのノウハウや人脈などを包み隠さず伝授して、夕方18時には退社するようにしていた。
これは持論なのだが、会社をやめると決断した人は、あまり会社にからまないほうがお互いによいと思っている。その点もあり、やることをやって、すぐに帰る。そういうルールでいた。あとは残る人間がなんとかやるだろう。そう思っていた。
さて、夏はとうに過ぎて、台風もチラホラやってきて、キンモクセイが香っては散った頃合い。
数字で表すと9月から10月。この頃合いに都市河川河口には大型のシーバスが集う。
冬場に産卵行動をとる個体が、最後にちゃんこ鍋のように栄養をつけるのに河口域は最適なのだ。餌が多いので。
その広大な川に近づくと、体臭がした。
感傷的にいうならば「このニオイは流域で生活する人間の日々の塊」ということなのかもしれない。
ああ、また来てしまったな。
今となって振り返ると、ただの洗濯機用洗剤っぽい都市河川臭としか思えないのだが、当時はこのニオイを嗅ぐと妙に鼻息が荒くなり脈が速くなった。条件反射みたいなものなのだろう。
この釣り場は護岸エリアから釣りもできるが、釣果を上げるためには澪筋にあたるエグレやかけあがりを通って遡上するシーバスを狙う必要がある。
潮位があがっているときは、岸近にもやってくるのだが、ウェーディングすると警戒して一目散に逃げていく感がある。
ということもあり、ウェーディングをしつつ、できるかぎり遠投するというのが当時の基本方針であった。
それと、ちょっとしたマンメイドストラクチャー(要は人工建造物だ)の際に常夜灯で明暗ができるところがあり、そのあたりにベイトが固まることを知っていたので、よく狙っていた。
ブラックバス釣りと違って、シーバス釣りは、より捕食行動にフォーカスできるかが重要だ。
威嚇行動などで食わせるというよりも、明確に餌を食べようとしている個体や群れを探し出し、所謂マッチザベイトの言葉通り、そのときにシーバスが捕食してる餌に似せたルアーを投げる。敢えて色や大きさを変えることはあっても、基本はマッチザベイトだ。
大型の狙える秋だったら、下げ潮で流されてくる落ち鮎や子ボラだったり、上げ潮で河川に入ってくるコノシロを模したルアーを使用したり。
しばらくその干潟ポイントに通うと、自分のなかで釣れるタイミング・キャスティング角度・飛距離・ルアー・動かし方などがわかる。
この時は、バイブレーション系よりミノーがよかった。
つたないスキルであったし、リールも安価な旧型のレブロスでリーダーシステムは今思うと不十分な結節だったが、毎夜そこそこ釣れていた。
80弱の個体が最大サイズであったが、それ以上の引きでラインブレイクしたこともあり、1mぐらいの個体がいるんじゃないか。
そう思っていた。
さて、或る日いつも通りストラクチャーから離れて、明暗の向こう側の本流に遠投していたときのこと。
風によってルアーがストラクチャーに絡んでしまった。
やっちまったな。
世のルアーマンが嘆くのと同じに、わたしも、一気にテンションをさげる。
回収をしようとするが、ちょっとこれは無理そうだ。
なぜならストラクチャーの柱にラインが回転して絡まってしまっているからだ。
経験上、こういうときは回収可能性は0%。やがてPEラインがパチン!と高切れる。
・・・。
「ゴミを増やしてしまって申し訳ない」という気持ちと同様に、「1700円の損失だ」というような注文の多い料理店の登場人物みたいな思考が生まれてくる。
それは仕方ない。ちゃんとしたルアーは高いものだから。シーバスのちゃんとしたルアーは1500円ぐらいはする。
ここで反省して釣りを辞めるかというと、そうでもない。
すかさずルアーを変更して、さきほどより慎重に同じ場所キャストする。
ルアーが障害物にかからず着底できるエリアは直径5mぐらい。障害物と障害物に囲まれているところと思ってほしい。
釣り人は、釣りたくなると無理をしがちな生き物だ。
とはいっても直径5mで距離が50m以内なので、無理ではなさそうだ。当時はそう思った。
が、問題は風だったのだ。
先ほどまで微風だったのが、潮のニオイ(要はプランクトンの死骸なのだが)をはらんだ海風がやや強まってきた感がある。
今だったらそんなシチューエ―ションで、そこにはキャストしないが、わたしはまた同じような角度でキャストした。
ロッド角度と人差し指のフェザーリングで調整しながら。
風であおられるPEライン1.5号。
・・・
・・・
・・・
嗚呼。
結果は、再度おなじ構造物の柱に引っ掛かっただけであった。
合計3,000円ちょっとのルアーをロストしたわけだ。
金額よりきついのは、その柱にかひっかけてしまったということである。
釣り船や漁業者が使う桟橋などではなく、ひっかけた場所が直接だれかの迷惑になる場所ではないが、やはりゴミはゴミで元からあったわけでもなく、景観上もよいわけはない。高切れしたラインに絡んでしまう水鳥がいるかもしれない。
そこでわたしはひっかけたルアーを回収しようとした。
が、潮位をみると、チェストウェーダーをはいていたとはいえ、無理な水深。
一応、立ち込んでみたが、障害物の半分にいくまでで、中断した。
これは深すぎるなぁ。
ちょっと陸にあがって落ち着こう。
・・・
・・・
・・・
しばらくペットボトルのお茶でも飲んで休むと、思考がクリアになってくる。
悩んだときは茶を飲んで深呼吸をする。これは、わたしのなかでの成功パターンでもある。
そうだ。あと○時間待つと、真夜中だけど干潮になる。
ラーメンかそのあとにファミレスでもいって、時間をつぶしてまたやってくれば、あそこまで渡れるんじゃないかな。
そうすれば、ルアーは回収できるはず。
干潮のときの水深だったら、深くても腰ぐらいの深さなはず。
ということで、どこかの飲食店で食事をして干潮までの時間をつぶしたはずなのだが、具体的な店舗は覚えていない。
そうこうして腹ごしらえをしたのだろう、わたしは再度ウェーダーを履いて、現地を訪れた。
ド干潮とあって、周辺にはシーバスウェーディングをやっている人など誰もいない。
干潟エリアでカサコソ動いている無数の蟹(呼吸がはじける泡の音がする)。
岸辺の土管を素早く出入りするドブネズミ。
観客はそれぐらいだろう。
貴重品・スマートフォンなど、すべての荷物は岸においたリュックへ。
ラインカット用のプライヤー以外は手ぶらで真夜中の都市河川に入水していく男。
こいつは一体こんな夜更けになにをしているのだろう。
足元はというと、ヘドロに足裏が埋まるは埋まるが、なんとかいける範囲内だな、そう思った。
やってやれないことはない。
アカエイ除けに、すり足歩行で、大袈裟な音を立てて進む。
・・・
・・・
・・・
やがて、目指す障害物に到着。
そこには自分がひっかけたミノー×2のほかに数々のルアーがひっかかっていた。
これをすべて回収。帰りにルアーは手にもって移動していた気がする。
ついでに罪滅ぼしにそこにあった複雑なラインの絡みをすべて回収しウェーダーの内側にいれると、それがなんだか免罪符のように感じられ、急速に罪悪感が薄れていく。
良いことをしたな。
釣りをしない人からすれば、自分たちで汚したものを自分でなんとかしただけなので、格別に褒められることではないのだが、釣り人からすると不思議と良いことをやった気になる。
数字で言えばマイナス50点が0点になっただけなのに。
さて、問題が起きたのは、その障害物から岸に引き返すときだ。
行きのルートで帰ればよかったのに、計画通りすべてのロストルアーを回収できて気分がよくなり油断してしまったのか、わたしはなぜか別のルートで岸に引き返した。
と、ここで急に足がすねぐらいまでヘドロに埋まったのだ。
ヘドロの堆積というのは均一ではなくて、もともとの地盤のエグレに対して堆積しているだけなので深さが異なる。
水深は胸下程度。
かろうじてウェーダーの胸部分まで浸水はしていない。
落ち着け。なんとかなる。
が、こうしたときはトラブルが重なる。
湾内でボートシーバスでもやってきた帰りなのか、プレジャーボートが結構な速力で上流へ走っていく。
するとやってくるのは容赦ない引き波。
まずい。
非常にまずい。
後ろをふりかえると、本流の中心から幾重もの引き波がやってくるのが見える。
足を引き抜くんだ。
足を引き抜かなくちゃ死ぬぞ。
腰ぐらいまでの水深にいかなければ。
こういうときに人間は火事場の馬鹿力と呼ばれる力を発揮するという。
たぶん、わたしもそのあたりを発揮したのだろう。
やがて足が、ぬっぽりと引き抜ける。
もちろん次の一歩や二歩だって足が埋まるのだが、重心移動がうまくいったのか、それほど深く固着状態にはならず、数メートル移動し、わたしは深みを離脱した。
時間にして数秒のことだったのかもしれない。
水深が腰ぐらいまでになったとき、引き波が到着。
背中に受けた波のうちまとまった量がウェーダーの中に浸水。
厄介なことにそれが連続するので上半身はびちょぬれに。
這う這うの体で護岸に到着して、わたしは助かった。
・・・
あのとき、胸下の水位で足がヘドロにうまったまま引き波を受けたらどうなっていたのか。
死。
おそらく、ウェーダーの中に水がたっぷり入り、身動きがとれなくなったまま倒れ溺れていたのではなかろうか。
叫んでもまわりには誰もいないし、水を飲んだら騒いでも音が響かない。
ということで、かなりの確率で死亡事故になっていたような気がする。
それ以来、ウェーディングはあまりやらなくなり、シーバスも足場がよいところからやることがメインになった。
チェストウェーダーをしていると、浸水もしないので、無敵になった感がある。
だけどやはり限度はあるし、足元の地形には配慮したほうがよいということを、これからウェーディングする人には伝えたい。
あと、やはり二人以上で釣りにいくのがよいですね。
一方が無茶なキャストをしようとしたときに、諫められるし、「ルアーを回収したい」とかいったときにも、「正気か」って言えるので。
平田(@tsuyoshi_hirata)
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