しばしば釣り人は本来の活動場所である釣り場だけでなく、ネット上においても喧嘩をしている。
この争いに注目してみると、だいたい以下のような対立構造がみられる。
- 餌釣り師VSルアーマン
- 餌釣り師VS餌釣り師
- ルアーマンVSルアーマン
- 上級者VS上級者
- 上級者VS初心者(中級者)
それぞれ、お互いの釣り方がちがうがために相手を排斥しようとおもったり、同じ釣りものだからライバル視、いや明確な敵視をしたり、上級者同士が自分たちの腕を鼻にかけ、他者を否定したり、見聞きしていてあまり気持ちがいいものではない。
餌釣り師VSルアーマンについて
上記のパターンのなかでもよく目にするのが餌釣り師とルアーマンの戦いだ。
たとえば、餌釣り師はルアーマンを「マナーが悪い」と罵り、ルアーマンは餌釣り師を「餌で釣れるのは当たり前」と罵る。それぞれお互いを「邪魔」に思っていることもあるだろうし、あからさまにそれを言行に表す人もいる。
両者の言い分を考えたときにあっている部分もあるがあっていない部分もある。どちらにも「マナーが悪い」ひとはいるし、餌釣りでも釣れないものは釣れないからだ。
誰かに迷惑をかけない限り、自然に回復不可能なダメージをかけない限りいろんな釣りがあっていいと思う。
『思いやり』や『想像力』
思うにトラブルをおこしやすい釣り人、トラブルの被害なりやすい釣り人に足りないのは、どちらも他者への『思いやり』や『想像力』なのではないだろうか。
「これをやられたらいやだろうな。」
それぞれが釣り場で相手のことをもっと想像して釣りをすればよいと思う。
釣り場は一人のものではないし、自分だけのポイントだとおもっていも、しばしば誰かにとっての穴場でもある。
たとえば、川で鯉のぶっこみ釣りをしている人がいるのに、挨拶もなんの声掛けもなくすぐ近くでルアーをキャストする。
風や流速を考えてルアーを器用に操作する釣りができている人ばかりではないので、ラインが交差して仕掛けが絡むかもしれないし、ブラックバス等のルアーの場合着水音やアクションの音によって、せっかく鯉釣り師が前日から撒き餌で寄せた鯉がにげるかもしれない。
ルアーマンにこういう想像力があればトラブルは少なくなるのではないか。
たとえば、ぶっこみ釣りで釣れる確率をあげたいがために置き竿を必要以上に出して場所をとり、幅広く釣り場を占拠する餌釣り師がいる。
ほかの人が近くに寄ると、親の仇のようににらみつける。
挨拶をしてもむすっとして無視を決め込む。それは自分がやられたら気持ちがよいことなのだろうか。
先行者だからといってなにをやってもいいのだろうか。
余裕と自責
釣れないときほど心に余裕がなくなるのかもしれない。
そんなときほど、釣れないことを誰かのせいにしがちではないだろうか。釣れないことを他人のせいにするよりも、ただタイミングが悪く魚がいないのだとおもったり、自分の腕が未熟だと思ったほうが、よりよい釣りにつながるのではないだろうか。
釣りの究極的な目標は何だろうか?
釣りの究極の目的は魚を『釣りあげる』ことなのだろうか。
これは人によっても違う気がしている。自然と親しむことを目的にする人もいれば、時に釣り場で仲間とたのしくはなすことを目的にしている人もいるだろうし、大物を狙うひともいれば、数を狙いたい人もいる。
いろんな人がいるが、魚を『釣り上げる』という目標に集中する、あまり他者の存在に配慮する力をもてていないままフィールドに出ている釣り師も多いのではないだろうか。
笑顔で気持ちよくあいさつをする
「自分は黙って一人で釣りをしたいから釣り場では他人と話さない」
こういう人がいる。
挨拶をしないでにこりともせず釣りをしていはいけないという法律があるでもないので、それは本人の自由だ。
一方、大体の釣り場にはいろんな人が集まる。
初心者も玄人も子供も老人、これだけ様々な属性の人がかかわる趣味は少ない。
いつ釣りにいっても自分一人しかいない釣り場であれば、自由にふるまえばよい(とはいっても自然を回復不可能なまでにする自由など当然ない)
が、いろんな人がいる釣り場で挨拶もできずむっつり釣りをする人は迷惑な存在でしかないのではないか。
なぜなら複数の釣り人が集まる釣り場では、いずれ何らかのトラブルが起きるからだ。
例えば、しかけのオマツリがあったとき、過失の割合は様々だ。こうしたとき、誰とも挨拶をせず他者との関係を保とうとしない態度の人は、オマツリでからむ仕掛けを前にして平常心で仕掛けをほぐして相手と丁寧にやりとりするのだろうか。
そんなことはしないはずだ。どこのだれかわからない他人が仕掛けをぐちゃぐちゃにしたということだけが頭に浮かび、イライラを募らせときに敵意をむき出しにするのではないだろうか。
すこし長くなったが、みんな釣り場でもっと丁寧に挨拶をしてみてはどうだろうか。
年長者の玄人でも、子供に挨拶をして話をきいてみたら大物狙いに重要な情報が得られたり、若手のルア―マンでも老餌釣り師に話んなことは往々にしてあると思う。
多くの釣り場は自分の貸し切りではないはずなので、結果的に数をかさねれば、情報収集力が強い人が結果を出すのではないか。
だいたい笑顔で気持ちよくあいさつをしあった人にたいしては、些細なことがあっても怒りたいとは思わないし、ちょっとのことだったら笑顔で見逃そうとおもうし、ときにはその人が釣れるように手伝いたいと思うこともある。
釣り人以前に、まともな人間であればそう思うのではないだろうか。
たのしく釣りをしたほうが人生お得ではないか
もともと釣りは楽しくてやっている人がほとんどなのだろうからそれぞれが楽しく釣りをすればよいと思う。
誰かといがみ合ったりしてとげとげしい気持ちで釣りをするより、それぞれ自分のペースでたのしく釣りをしたいと思うのは多くの人の共通認識ではないだろうか。
それとも、誰かと喧嘩をすることを目的に釣りをしている人がいるのだろうか。
この文章は最近とくにわたしが思っていることをまとめてみたのだが、一度みなさんも、自分がたのしく釣りをしているかを振り返ってみてはどうだろうか。
今回の記事を読んで、あなたはどう思われますか?
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