人間は生きているだけでゴミを生産するわけです。
筆者の父親はすでにあの世に旅立ったのですが、晩年よく真夜中に真っ暗な部屋で鬼殺しのお湯割りというよくわからない飲み物をのみながら、TVをみて「人間はしょせんクソ袋だからな」というようなことをいっていました。
人もつまるところ、食べては消化してクソをして、身が腐り土になっていく。
衛生面等で土葬がなくなってからは、人はその最後に身体ごと燃やされ、灰になって骨壺に収容されるのが一般的ですが、たしかにそのあたりは一つの真理なのかもしれません。
釣りは必ず水中にごみを残す遊び
さて、釣りの話です。
釣りをしていると、これがどんな玄人でも根がかりや高切れによるゴミの発生を防ぐことができません。どんなジャンルのどんなにキャスティングなどが上手なプロでも根がかりしますし、水中にごみを残さずに釣りをすることはできません。
映像には、根がかりや高切れなどは編集されて出てきませんが、誰でもやっていることです。
筆者も、釣り歴は30年をこえてはいるのですが、やっぱり注意していても、根がかり等で錘や仕掛け・ルアーをロストしてしまうことがあります。
この根がかり等で釣り具をロストしたときに胸中に浮かぶ気持ちは、
「ああ、もったいなや(〇円損した)」
「仕掛け等を組む工数がもったいない」
「ゴミを水中に残してしまって申し訳ない」
だいたいこの通り3つぐらいあります。
たとえば、水中に釣り人がゴミを残してしまったとしても、これを自力で回収するのは困難です。事故の危険性もありますしね。
海や潮の干満の影響がある河口域・汽水域では、1m程度の水深であれば、干潮時に根がかりを回収するなどができたりします。シーバスなどをやっている人は心あたりがあるんじゃないでしょうか。
やったー!
明け方根掛かりしたオルガリップレス、潮が引くまで待ったら見つけたー!
糸も回収! pic.twitter.com/4PTGp34KqW— いにはむ (@BgAGUwdFLXgaWx1) 2019年3月10日
わたしも多摩川等でよく回収してました。あそこの河口域は根だらけで、ボトムにコンタクトすると2秒で根がかって、1,700円とかするシーバスルアーがおじゃんになるわけです。
まさかそんなに浅くなかろうと目測しても、ところがどっこい、隆起した根(というか牡蠣殻)や、都市河川名物のよくわからない古タイヤやら盗難原付バイクなどが、水深50cmぐらいのところにあってフローティング系のミノーががっつり食い込んだり。
いざ根がかりして一瞬あぜんとして、貧乏根性で干潮まであと4時間あるけど、粘ろうかなとか思って釣れない釣りを4時間継続して、あれ、俺なにしに来たんだっけと嘆いたり。
で、冬場なんて寒くて身も心も凍え、行き倒れのようにラーメン屋に倒れこんで、メガネを曇らせながら味噌ラーメン大盛と餃子などを一気にかきこんで、またリベンジを誓うのです。ジーク・ジオン。
ゴミを拾うのはよいことなので、どんどんほめたたえたい
現代はSNSで個人がだれでも発信できる時代です。
個人が○○をしたと発信して、それが匿名でとくに知られていない人でも小規模でバズったりして、その投稿が多くの人に見られます。
ゴミ問題についても同じです。
「今日ホームの釣り場でゴミ拾いをしたらこんなにとれた!」
というような投稿。
これは比較的賞賛される傾向にあるのですが、一つ一つコメントをみていると、そういったごみ拾い&SNSへのUPを偽善だったりと指摘する人がいます。
たしかに、毎日SNSにUPされるゴミ拾いという行為にあるそれぞれの善性の有無などは誰もわかりません。
なかには底意として、フォロワーを集めたい!とか、YouTubeのチャンネル登録はやく1,000件超えたいとかいったニーズもあるのかもしれません。
が、まーそれはそれでよいんだと思います。
水中のゴミを回収するのは素人には難しいかもしれないですが、地上のゴミを拾うのは比較的容易です。
地上のゴミも、やがて水中に落ちてマイクロプラスチック問題の原因になったり、糸や針によって生じる事故につながります。漁港などでは、ゴミの投棄によっても釣り禁止や立ち入り禁止が明記されたりする事実もあります。
目の前にあるごみを拾う。
それは「隠徳」というやつなのかもしれません。それはそれで、自分のなかにある釣りという趣味に潜む負の側面を昇華させてくれたりして、事実やってみると、不思議と気持ちがすっきりします。なんだかやさしい気持ちになれたり。釣れなくてクサクサした気持ちでいるときにこそ、ごみを拾うと精神的に楽になったり。なんという不思議。
それで、釣り場のゴミ問題へ課題意識をもったりして、SNSや動画にUPする。
すると、それを見た真っ当な人が、そうだそうだと、シェアしたりいいねをしたりする。それで数%でもまねしようと思う人がでてくればよいんじゃないかと思います。
こういった行為は、拾ったごみをまた釣り場に捨てておつかれさん、という本末転倒系でなければ、やっぱりどうみてもよい行為なのだと思います。ペイフォワードってやつです。
一方、どんな投稿でもシェアやいいねなどが積み重なると、自分の賢さを誇示したいのかそれを「偽善だし」「そんなことをやってもなんの意味もない」と表現する人があらわれます。
ゴミ拾いやその行為をネットにUPすることは、
「偽善」
「何の意味もない」
確かに一面そうなのかもしれません。が、まーそれはそれでいいんじゃないかなと筆者は思うばかりです。
何も行動しないよりは、自分がよくいく釣り場を少しでも良くしようと行動する。そしてそれをSNSの力で発信する。
それを見た人のなかで、極端な話、一人でも影響されて、「自分も次はゴミ拾いしよ」と思ったり、実際にゴミ拾いをすればそれはやっぱり日本の釣り場にとってよいことのはずです。
SNS時代になって、国民全員が批評家になったというような指摘がありますが、そういった側面以外に、国民がSNS経由で行動するようなったというのも事実です。
- SNSをみて、○○を買った
- SNSをみて、○○に行った
- SNSをみて、○○の釣りをはじめた
- SNSをみて、自分のまわりのゴミを拾うようになった
というように。
ということで、釣り人のみなさまにおきましては、勇気を出して釣り場のゴミを拾っていけばよいと思います。
SNSにUPしていくのも、ごみを捨てる人にはあんまり響かないかもしれませんが、真っ当な釣り人が、自分もゴミ拾おうと思うのにはつながるかもしれません。
こちらはサーファー向けのゴミ拾いの呼びかけ
勇気という言葉を使いましたが、釣り場でゴミを拾うのって、恥ずかしい気持ちが生じたりするのも日本人の特徴なのかもしれません。
自分でおもっていることを、Twitterなどの匿名環境でズバズバ言うものの、表向きなにかをするのは気恥ずかしいというのはよくわかります。
リアルな場でその気恥ずかしさの壁をやぶるというか乗り越えるというか、まーそういうのは、勇気と呼んでもよいんじゃないかなと。
ではでは。
平田(@tsuyoshi_hirata)